「小松健二」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Okapia2 (会話 | 投稿記録)
記述整理など
24行目:
* [[高知中学校・高等学校|高知高等学校]]
* [[近畿大学体育会硬式野球部|近畿大学]]
* [[日本大昭和製紙硬式野球部|大昭和製紙]]
* [[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]] (1971 - 1976)
* [[中日ドラゴンズ]] (1977 - 1980)
32行目:
|選出方法 =
}}
'''小松 健二'''(こまつ けんじ、[[1947年]][[5月24日]] - )は、[[高知県]][[高知市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])。プロ入り前の名前は、「'''小松 建二'''(読みは上記と同じ)」。
 
== 来歴・人物 ==
[[高知中学校・高等学校|高知高校]]を卒業後、[[有藤通世]]とともに[[近畿大学体育会硬式野球部|近畿大学]]に進む。大学卒業後は[[日本大昭和製紙硬式野球部|大昭和製紙]]を経てに入り{{by|1970年}}には[[社会人ベストナイン]]に[[外野手]]部門で選ばれ、同年秋に[[1970年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]1位指名で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]に入団。その後、{{by|1976年}}オフに[[戸田善紀]]・[[大石弥太郎]]・[[森本潔]]と共に、[[稲葉光雄]]・[[島谷金二]]・[[大隅正人]]との交換トレードで[[中日ドラゴンズ]]に移った。現役引退は、{{by|1980年}}オフ。
 
[[有藤通世]]とは、高校・大学でも共にプレーしている。大昭和製紙に在籍中の1970年には、社会人ベストナインに外野手部門で選ばれた。プロ入り当時は、強打を誇る即戦力外野手として期待された。しかし、三振の多い粗い打撃が祟ってレギュラーの座を獲得できず、プロでは主に右の代打要員として起用された。
 
== 詳細情報 ==