「イサーク・ティチング」の版間の差分

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一方、日本の機密を、11代将軍[[徳川家斉]]の[[岳父]]であった[[島津重豪]]を通して収集していたことが、フランスの博物学者で旅行家のシャンパンティユ・コシーニュ著「ベンガル航海記」に記載され、[[オランダ東インド会社]]が解散した1799年にパリで出版された。そこには、将軍の義父がティチング氏と始終文通を行い、ティチング氏の目的に必要なあらゆる知識と情報を好意的に与え、日本に関する彼のコレクションを増加させているとある<ref>『島津重豪』1980年 芳則正著 ㈱吉川弘文館発行</ref>。
 
オランダ商館長は名目上、一年に一度の江戸参府を命じられ、江戸にいる間は日本の[[大名]]と同じ立場であった。ティチングは2度の[[江戸]]参府を行い、10代[[征夷大将軍|将軍]][[徳川家治]]と謁見した。また江戸では[[蘭学者]]([[中川淳庵]]、[[桂川甫周]]、[[朽木昌綱]]ら)とも積極的に交流した。ティチングは、日本の社会・文化・風俗に深い関心を寄せ、蘭学者らと頻繁に文通を行うとともに、後に日本に関する著作を残した。特にこの頃の[[田沼時代]]の政治・社会情勢や、[[大岡忠光]]などの人物像を書き記したことは特筆に価する。
 
===インド滞在期間 1785年 - 1792年===