「ヴァルーエフ指令」の版間の差分

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ヴァルーエフ指令の施行によりウクライナ語の出版が著しく減少し、ウクライナの[[啓蒙]]組織の多くは「[[分離主義]]者」として警察によって弾圧された。その結果、ウクライナの知識人の一部が[[オーストリア帝国]]の[[ガリツィア]]地方へ移住し、ガリツィアはウクライナ民族解放運動の中心地となった。
 
ヴァルーエフ指令は、ロシア帝国がウクライナで行っていた[[ロシア化]]政策]]・[[同化]]政策]]の手段の一つであった。13年後にその指令はウクライナ語の出版物を禁止する[[エムス法]]の礎となった<ref>中井 1998:237-42.</ref>。
 
==脚注==
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