「松平氏信」の版間の差分

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[[寛永]]2年([[1625年]])将軍[[徳川家光]]に拝謁する。中奥御膳番、[[書院番]]、西城小姓組番頭、将軍[[徳川家綱]]の書院番頭、[[大番]]頭、側衆を歴任する。父の遺領2000石を合わせ[[武蔵国]]、[[下総国]]に計6000石を領した。[[延宝]]5年([[1677年]])に致仕し、天和3年(1683年)に71歳で死去した。法名は覚涼院殿。墓所は牛込にある法正寺。家督は、長男の氏清が病気により継承を辞退していたため、三男の氏辰が継いだ。
 
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[[Category:形原松平氏|うしのふ]]
[[Category:江戸幕府旗本]]
[[Category:伯耆守]]
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