「松平信岑」の版間の差分

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{{基礎情報 武士
| 氏名 = 松平 信岑
| 時代 = [[江戸時代]]中期
| 生誕 = [[元禄]]9年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]([[1696年]][[10月5日]])
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| 兄弟 =
| 妻 = 正室:[[内藤義孝]]の娘<br/>継室:[[内藤義英]]の娘、[[内藤清枚]]の娘
| 子 = 養子:'''''[[松平信直|信直]]'''''<br/>養女:''[[中山政信]]正室''、''[[本田忠弘]]正室''
| 特記事項 =
}}
 
'''松平 信岑'''(まつだいら のぶみね)は、[[丹波国|丹波]][[篠山藩]]の第5代[[藩主]]。後に[[丹波亀山藩]]の初代[[藩主]]となる。丹波亀山藩[[形原松平家]]6代。
 
== 経歴生涯 ==
元禄9年(1696年)9月10日、丹波篠山藩の第4代藩主・[[松平信庸 (篠山藩主)|松平信庸]]の長男として生まれる。[[宝永]]7年([[1710年]])12月に従五位下、佐渡守に叙任される。[[享保]]2年([[1717年]])、父の死去により[[家督]]を継いで篠山藩の第5代藩主となる
 
享保20年([[1735年]])に[[寺社奉行]]と[[奏者番]]を兼任する。しかし父と違って暗愚だったため、[[享保の大飢饉]]で苦しむ領民に重税を強いて悪政を敷いたことにより、[[寛延]]元年([[1748年]])8月3日に追放されるように丹波亀山藩に移封された。
 
宝暦6年([[1756年]])、従四位下に昇位する。宝暦13年(1763年)11月20日に死去した。享年68。跡を甥で[[養子]]の[[松平信直|信直]]が継いだ。
 
{{形原松平家当主|11代|1717 - 1763}}
{{篠山藩主|形原松平氏|5代|1717 - 1748}}
{{丹波亀山藩主|形原松平氏|初代|1748 - 1763}}
 
{{DEFAULTSORT:まつたいら のふみね}}
[[Category:江戸の大名]]
[[Category:譜代大名]]
[[Category:江戸幕府寺社奉行]]
[[Category:形原松平氏|のふみね]]
[[Category:1696年生]]
[[Category:1763年没]]