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これらの活動の間に留年を重ねて[[1981年]]10月に近畿大学は中退。岡田とともに、SFショップでありガレージキットショップでもある「[[ゼネラルプロダクツ]]」(ゼネプロ)を[[1982年]]に設立。ゼネプロ時代には引き続き、日本SF大会DAICON4の事実上の主催者の一員を務めて、ダイコンフィルムで自主製作映画の制作をするとともに、ガレージキットの販売や即売会である[[ワンダーフェスティバル]]の開催を行う。
 
[[1983年]]に製作された『[[帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令]]』ではMATのイブキ隊長を演じた。
 
[[1984年]]のガイナックス設立当時から取締役を務め、設立メンバーで2008年現在も取締役なのは武田のみという中心メンバーの一人である。ガイナックスの会社登記と同時にそれまで[[岡田斗司夫]]の実家である岡田刺繍の一部門だったゼネプロも独立して[[株式会社]]化され、武田は社長に就任した。