「ニコストラトス (アテナイの将軍)」の版間の差分

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翌[[紀元前423年]]の一年間のスパルタとの[[休戦]]協定の際、ニコストラトスはその儀式の参加者の一人となった<ref>ibid, IV. 119</ref>。その後のブラシダスと[[マケドニア王]][[ペルディッカス2世]]の[[リュンコス]]遠征の時には彼らと戦うためにニキアスを同僚将軍として艦隊50隻と[[弓兵]]600人、[[トラキア]]人[[傭兵]]1000人、アテナイ重装歩兵1000人と共に[[マケドニア]]の[[メンデ]]および[[スキオネ]]へと送られ、[[メトネ]]・スキオネ・ペロポネソス連合軍と戦ったものの、敵が有利な丘に布陣したために敗北した。その翌日アテナイ軍はスキオネ領を荒らした後、ニコストラトスとニキアスは軍を二分し、ニキアスはスキオネ領を荒らし、ニコストラトスはメンデ市を攻撃した。彼は駆けつけたニキアス隊と共にメンデを落とし、市内を略奪した後に[[アクロポリス]]のペロポネソス軍を監視する駐留軍を残してスキオネへと向った。アテナイ軍はスキオネ・ペロポネソス軍を戦いで破り、敵が逃げ込んだスキオネを封鎖し、それが完了すると守備隊を残して引き上げた<ref>ibid, IV. 129-131, 133</ref>。
 
紀元前418年にニコストラトスは[[ラケス (将軍)|ラケス]]を同僚の将軍として[[歩兵]]1000人と[[騎兵]]300騎と共に[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]の援軍として送られたが、同年の[[マンティネイアの戦い (紀元前418年)|マンティネイアの戦い]]でラケスと共に戦死した<ref>ibid, V. 61, 74</ref><ref>ディオドロス, XII. 79</ref>。
 
== 註 ==