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[[画像:Rear-Car.jpg|thumb|right|250px|リヤカー]]
[[File:Cart-for-Bike.jpg|thumb|right|240px|自転車牽引のリアカー、[[江戸東京たてもの園]]の展示物]]
'''リヤカー'''/'''リアカー'''([[和製英語]]:rear car)とは[[金属]]製の[[パイプ]]と空気入り[[タイヤ]]で成された2輪の[[荷車]]である。[[日本]]で考案され、[[サイドカー]](Side- + Car)にならって「後部(Rear)に位置する車」の意でRear-Carリヤカーと命名された。日本では[[軽車両]]としての[[公道]]利用が認められており、[[人]]もしくは[[自転車]]、[[原動機付自転車]]によって[[牽引]]して使われている。
 
== 概要 ==
[[1921年]]頃、海外から[[サイドカー]]が[[日本]]に[[輸入]]された時にサイドカーとそれまでの荷車の主流だった[[大八車]]の利点を融合して、[[静岡県]][[富士市]]青島の[[望月虎一]]が[[発明]]した<ref>富士市農協設立50年・富士市農協合併5周年記念誌「大地とともに」 12ページ 富士市農業協同組合 1998</ref>。
 
[[1923年]][[9月1日]]に発生した[[関東大震災]]、[[燃料]]不足だった[[太平洋戦争]]の戦中・戦後などの時期に人力によるリヤカーは戦中には[[空襲]]などによる負傷者の搬送にも利用され、戦後復興期の物流に大きな地位を占めたなど効率的な荷車として大活躍したが[[自動車]]が普及するにつれて[[オート三輪]]・[[軽トラック]]<!--・[[オートバイ]] オートバイにリヤカーに求められるペイロードは日本の利用状況では考えられないので-->などに取って代わられ、次第に衰退していった。
 
=== 利点 ===
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== 日本国外への進出 ==
[[File:A man is suffering pulling a trash.jpg|thumb|[[南京]]で使われているリヤカー状のカート]]
<!--日本の[[戦後]]復興期にはおおいに活用されたリヤカーだが、[[1960年代]]頃より日本で[[モータリゼーション]]による[[自動車]]の普及(→[[大衆車]])に伴い、道路の広い面積を占有してのろのろとしか移動できないこともあって次第に街中からその姿を消していった。
 
しかし[[1980年代]]頃より次第に日本人の目が海外(日本国外)に向けられるに従って、貧困地域や紛争地帯においてその荒廃した社会の復興や援助といった活動の中で次第にリヤカーや[[七輪]]・[[竈|かまど]]のような[[ローテク]]日本製品の活躍の場を見出す人も出ている。これらでは民間のボランティア団体など[[非政府組織]](NGO)の活動が主体となっているが、NGO「難民を助ける会」の金属加工ワークショップでは町工場のリヤカー製作技術を現地の人間に学ばせた上で製造機械を手配、現地生産でリヤカー普及に務めているという。-->
[[中華人民共和国|中国]]をはじめとする[[アジア]]諸国では一般にリヤカーが浸透しており、自転車と同程度の技術で製造できるリヤカーは庶民レベルの物流の一端を担っている。これらでは日本製オートバイとセットで現地社会に根付き、市場へ農作物を運搬したりあるいは移動販売の店舗に利用されたりといった活動も見られる。
 
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[[ko:리어카]]
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以下は([[サイクルトレーラー]]へ移動)
[[cs:Cyklopřívěs]]
[[da:Cykeltrailer]]
[[de:Fahrradanhänger]]
[[en:Bicycle trailer]]
[[nl:Fietskar]]
[[pt:Reboque para bicicleta]]
[[ru:Велоприцеп]]
[[sv:Cykelkärra]]
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