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[[1901年]](明治34年)6月15日、月刊紙『諏訪新報』として[[長野県]]諏訪郡上諏訪町(現・[[諏訪市]])で創刊した。翌[[1902年]]、競合紙の『信濃新聞』を合併して『南信評論』と改題し、のち旬刊から週刊発行に変更。[[1904年]]、修文館印刷所(上諏訪町角間)に本社を置いたあと、同町末広町に本社屋を新築し移転。週刊から月6回発行とした。
 
[[満州事変]]後行われた[[新聞事業令]]にもとづく[[新聞統制]]によって、『南信評論』は[[1939年]]、諏訪地方の『南信毎日新聞』(旧)、『信濃民友新聞』、『高原日日新聞』、『湖竜日報』の各紙と合併したあと(第1次統合)、『信陽新聞』および『岡谷毎夕新聞』の両紙とも合併(第2次統合)し、『南信毎日新聞』に改題した。しかし[[1942年]][[4月30日]]の第3次統合で『[[信濃毎日新聞]]』に統合され、廃刊した。
 
===南信日日新聞時代===