「アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク」の版間の差分

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[[ファイル:Wilhelmine Amalie de Brunswick-Lunebourg (1673-1742).jpg|thumb|right|アマーリア・ヴィルヘルミーネ]]
'''アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク'''(Amalia Wilhelmine von Braunschweig-Calenberg, [[1673年]][[4月21日]] - [[1742年]][[4月10日]])は、ドイツの[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家]]の公女で、[[神聖ローマ皇帝]][[ヨーゼフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ1世]]の皇后。
 
[[カレンベルク侯領|ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公]][[ヨハン・フリードリヒ (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公)|ヨハン・フリードリヒ]]と妃[[ベネディクタ・ヘンリエッテ・フォン・デア・プファルツ|ベネディクタ・ヘンリエッテ]]の娘。ヨハン・フリードリヒの弟は[[ハノーファー君主一覧|ハノーファー選帝侯]][[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグスト]]であり、その息子で[[イギリス君主一覧|イギリス王]]となった[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]はアマーリア・ヴィルヘルミーネの従弟に当たる。また、エルンスト・アウグストの妃でジョージ1世の母である[[ゾフィー・フォン・デア・プファルツ|ゾフィー]]が、母ベネディクタ・ヘンリエッタの叔母にあたるという関係にもある。義弟に当たる[[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]と結婚した[[エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1691-1750)|エリーザベト・クリスティーネ]]とも同族である。