「松本好雄」の版間の差分

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幾多の重賞を制しながら[[競馬の競走格付け|GI]]のタイトルには長らく縁がなく、2001年に[[メイショウドトウ]]が[[宝塚記念]]を制するまでに28年を要したが、その後は[[メイショウボーラー]]([[フェブラリーステークス]]優勝)、[[メイショウサムソン]]([[皐月賞]]、[[東京優駿]]〈日本ダービー〉、[[天皇賞|天皇賞(春)、天皇賞(秋)]]優勝)など、GIレースでの活躍も目立つようになった。
 
[[リーディング (競馬)|リーディング]]上位の馬主は、使うレースや起用する[[騎手]]に口を出す傾向が強いが、松本は基本的に「自分は全く馬のことは分からないから、お任せをしている。従って口を出すことはない」と全て[[調教師]]に一任していた。ただし2007年、メイショウサムソンの[[凱旋門賞]]挑戦に際しては、敢えて騎手を[[石橋守]]から[[武豊]]に替えさせた。松本は石橋と武の2人を呼んで「今回ばかりは私のわがままを聞いて欲しい」と、石橋に武へのスイッチの了解を求めたという([[日刊スポーツ]]などの報道より)。その後[[2010年代]]に入り武を本格的に自身の競走馬の主戦騎手に据えるようになった<ref>[[競馬最強の法則]] 2011年12月号「武豊騎手が貧乏騎手をイジメている!?」記事内</ref>。
 
座右の銘は「人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる」。