「ポーランド復興勲章」の版間の差分

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[[ファイル:Pr-avers.jpg|thumb|right|カヴァレルスキ十字勲章]]
[[ファイル:POL_Krzyz_Oficerski_Orderu_Odrodzenia_Polski.jpg|thumb|right|オフィツェルスキ十字勲章]]
'''ポーランド復興勲章'''(ポーランドふっこうくんしょう、ポーランド語:Order Odrodzenia Polski、ラテン語:Polonia Restituta) - [[軍人]]以外の[[市民]]に授与される、[[ポーランド]]で高位の[[勲章]]のひとつ。[[教育]][[科学]][[スポーツ]][[文化]][[芸術]][[経済]][[]]、社会活動、公職活動、外国との関係強化の優れた功績に対して授けられる。[[1921年]][[2月4 ]]に制定された。ポーランドの勲章の序列においてポーランド復興勲章は、白鷲勲章(ポ:Order Orła Białego)、軍功勲章(ポ:Order Virtuti Militari 軍人のみが受勲対象)の次に位置し、下位には軍事十字勲章(Order Krzyża Wojskowego)、ポーランド共和国功労勲章(Order Zasługi Rzeczypospolitej Polskiej)と続く。
 
==歴史==
ポーランド復興勲章は「主教にして殉教者の聖スタニスワフ騎士勲章」(単に聖スタニスワフ勲章として知られる)を引き継いだものとして考えられている。聖スタニスワフ勲章は[[ポーランド・リトアニア共和国]]の最後の君主[[スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ|スタニスワフ2世アウグスト]]が、王の支持者をたたえるために制定した。[[1765年]][[5月7日]]に制定され、数は100ケに限定された。[[騎士]]には、貧しいもののため、あるいは[[騎士道]]のさまざまな決まりを維持するための寄付金を求められた。[[中央ヨーロッパ]]地域の[[外交]]で[[ロシア帝国]]の影響力が強まるにつれ、勲章授与の決まりも変わっていった。[[ポーランド分割]]後、[[ワルシャワ公国]]が勲章を復活させた。このときは、[[貴族]]の称号を相続したときに授与され、ワルシャワの病院への寄付が求められた。[[11月蜂起]]後、この勲章はロシア帝国に完全に引き継がれた。
 
ポーランドが独立を[[1918年]]独立を回復した際、政府はこの勲章を廃止した。というのも、ロシアは[[栄典]]の規則をひどく濫用し、新生独立ポーランドの目から見て、ポーランドやその文化の破壊に責任がある者にまで授与されていたからである。その代わりにポーランド復興勲章が制定され、聖スタニスワフ勲章の本来の価値に見合う業績に対し授与されることになった。ポーランド復興勲章は1921年2月4日に制定され、[[ユゼフ・ピウスツキ]][[元帥]][[7月13日]]に始めて受勲した。またこの勲章は外国人に対する主要な勲章ともなり、[[外務大臣]]から授与された。
 
[[第二次世界大戦]]後、[[1944年]]、ポーランド復興勲章は新しい[[社会主義]]政権の栄転制度に組み入れられた。形や色はそのままにされたが、ポーランドの白鷲の王冠は無くされた。また十字の裏側の日付は1944年と改められた。[[共産主義]]の管理の元にあってもこの勲章はその価値を元のまま保ち、共産主義者の鏡とは到底言いがたい人物にも多く授与された。乱発されることも無く、むしろ乱発されたのは伝統的な共産主義的な賞の方であった。この期間は、外国人には、ポーランド復興勲章より価値は低いものの、ポーランド共和国功労勲章が好んで授与された。[[1990年]]までは戦前のデザインの勲章が[[ポーランド亡命政府]]によっても授与されていた。1990年12月22日、ポーランド亡命政府は彼らのポーランド復興勲章の権利を非共産主義となったポーランド政府に返還した。価値を見出せない授与が取り消されただけで、共産主義政府の授与した勲章でも他の事と同じくそのステータスを保持している。
 
== 階級 ==
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勲章は白いエナメルの施された金の[[マルタ十字]]である。中央のメダルの表は赤地に白い鷲(赤地に白い鷲はポーランドの紋章)が描かれ、縁の青地に「Polonia Restituta」(''ポーランド復興''のラテン語)と書いてある。裏側には[[1918年]]の年号が書かれている(人民共和国時代のものは前述の通り1944)。勲章のリボンやサッシュは赤で、縁の近くに白い線が入っている。大十字勲章はサッシュを右肩からかける。星つきコマンドルスキとコマンドルスキは首からかける。オフィツェルスキとカヴァレルスキは左胸につけ、両者の違いはリボンの丸い飾りの有無である。
 
星は8ポイントのもので、星の発する光線がまっすぐに表現されている。星の真ん中の丸い部分は白いエナメルで、RP(ポーランド共和国 Rzeczypospolita Polska の略。人民共和国時代は PRL であった)とかいてあり、縁の青地に「Polonia Restituta」とやはり書いてある。
 
== 受勲==
歴史的にはこの勲章の受勲者は[[年金]]を受け取ることができた。 受勲者はこの勲章の価値を維持することに責任を持つポーランド復興勲章参事会によって選考される。ポーランド復興勲章参事会は、大勲章マスターと5年任期で大勲章マスターに指名された8人の参事からなる。[[選挙]]で選ばれて[[ポーランド共和国大統領]]になると、自動的にポーランド復興大十字勲章が授与され、勲章参事会の大勲章マスターとなる。受勲者の名前はモニトル・ポルスキ(日本の[[官報]]にあたる出版物)に掲載される。
 
==主な受賞者==