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== 事件の経過 ==
1388年([[王ウ (高麗王)|{{lang|ko|王禑}}]]14年)2月、[[元 (王朝)|元]]を倒して政権を確立した[[明]]は属国であった高麗に対し、元代の旧領を返還するように要求してきた。これに対し、親元派が主流であった政権は議論の末、崔瑩将軍を総司令官とする討伐軍の派遣を決定し、[[曹敏修]]と李成桂を左右都統使に任命した。この派兵に対して、李成桂は「四不可論」を掲げて反対を表明していた。 
 
『高麗史』によれば「四不可論」とは次のようである。「今者、師を出すに、四つの不可あり。小を以て大に逆うは、一の不可なり。夏月に兵を発するは、二の不可なり。国を挙げて遠征せば、倭はその虚に乗ぜん、三の不可なり。時方に暑雨し、弓弩の膠は解け、大軍は疾疫せん、四の不可なり」