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[[岩手県]][[胆沢郡]][[金ケ崎町]]出身。[[岩手県立盛岡第一高等学校|盛岡中学校]]、[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を経て[[東京大学|東京帝国大学]]哲学科卒。哲学研究者として[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]の水原高等農林学校(現・[[ソウル大学校]][[農学部|農業生命科学大学]])、[[京城帝国大学]]予科教授、第一高等学校教授、[[文部省]]督学官、社会教育局長、[[国際文化会館]]参与を歴任。
 
戦後は結核に罹患し、貧困にも苦しむが再起し、1963年には親戚の女性の話をもとにした初の小説『女のいくさ』を刊行、[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞。当時64歳という最高齢での受賞だった(のち、記録は[[古川薫]]の65歳での受賞に破られる)。また『女のいくさ』は直木賞作品で初めてベストセラートップ10となった。これは明治初期から現代までの家の歴史を描いたもの。しかし作家としては翌年二つの短編を発表したに終わった。[[鈴木彦次郎]]は同郷同学の友人
 
==著書==