「ルイーズ・マリー・ド・フランス」の版間の差分

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== 生涯 ==
ルイ15世夫妻の間に第10子、八女として生まれた。末娘であり、7番目のマダム(''Madame Septième'')、末のマダム(''Madame Dernière'')などと呼ばれていたが、1747年よりマダム・ルイーズと呼ばれた。3人の姉、[[ヴィクトワール・ド・フランス|マダム・ヴィクワール]]、[[ソフィー・ド・フランス|マダム・ソフィー]]、[[テレーズ・ド・フランス (1736-1744)|マダム・テレーズ]]とともに[[フォントヴロー修道院]]に預けられて育ち、1750年にヴェルサイユ宮廷に戻った。
 
同年、ルイ15世はルイーズを[[ジャコバイト王位継承者の一覧|ジャコバイト王位請求者]]である[[チャールズ・エドワード・ステュアート]]に嫁がせようとしたが、ルイーズは愛していない男性と結婚するくらいなら修道院に入りたいと父王に懇願し、この縁組に抵抗した。やがてチャールズ・エドワードと従妹の[[マリー・ルイーズ・ド・ラ・トゥール・ドーベルニュ|モンバゾン公爵夫人]]との不倫関係が発覚すると、ルイ15世は娘をチャールズに嫁がせる計画を中止した。