「レナード・バーンスタイン」の版間の差分

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バーンスタインは師匠の[[ディミトリ・ミトロプーロス|ミトロプーロス]]と同じく、[[同性愛]]傾向も有していた。彼は1951年に結婚したフェリシア夫人との間に3児をもうけ、病床に伏した夫人がガンだと判明すると献身的に看護するなど(フェリシアは1978年に死去。晩年のバーンスタインには大きな精神的打撃を与えたことを彼の周囲の人々は回想している)、妻を深く愛していたが、その一方で自らの同性愛傾向を隠さなかったのも事実であり、男性と必要以上に親密に振る舞うことも多かった。たまりかねたフェリシアが「もう男といちゃつくのはやめて!」と訴えると、バーンスタイン自身は平然と「なに言っているんだい? 芸術家ってのは[[ホミンテルン]]([[同性愛|ホモ]]+[[コミンテルン]])なんだぜ」と答えたという。また、[[ファーリー・グレンジャー]]は[[2007年]]に出版した[[自伝]]のなかで、バーンスタインとの恋愛関係について告白している。
 
=== 最後のコンサート ===
最後の指揮となったボストンでのコンサートは体力の疲弊が甚だしく、最初の[[ブリテン]]の「ピーターグライムス 4つの海の間奏曲」は何とか終えたものの、最後のベートーベンの第7交響曲になると目に見えて動きが悪くなり、第3楽章では腕が上がらなくなり、コンサートマスターとアイコンタクトをとりながら体力を蓄え、第4楽章まで終えることができた。その後打ち上げのパーテイーもそこそこに、ニューヨークに飛んで帰り、すべてのコンサートをキャンセルして引退宣言を行った。
 
== 指揮活動 ==