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二王の後である以上は二度禅譲を見ることは特別な事ではない
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==曹氏のその後==
曹奐の子の名は不明だが、[[325年]]、曹操の玄孫である[[曹バイ|曹勱]]が[[東晋]]によって陳留王に封じられた。[[358年]]死去し、[[363年]]子の曹恢が跡を継いだ。[[378年]]死去し、[[383年]]子の曹霊誕が跡を継いだ。曹霊誕は[[408年]]死去した。[[420年]]、[[劉裕]]が東晋から禅譲を受け[[宋_(南朝)|宋]]となったが、劉裕に禅譲を勧める上奏に、陳留王の曹虔嗣が名を連ねている。曹虔嗣は同年死去し、弟の曹虔秀が跡を継いだ。[[462年]]死去し、子の曹銑が跡を継いだ。曹銑は[[473年]]死去した。[[479年]]、[[蕭道成]]が宋から禅譲を受け[[斉_(南朝)|斉]]となったが、蕭道成に禅譲を勧める上奏に、陳留王の曹粲が名を連ねている。しかし同年8月、王位を除かれた。
 
子孫は魏の滅亡から200年以上にわたって陳留王を相続し、その間に2度の禅譲を見たことになる。
 
{{魏 (三国)の皇帝||第5代:260年 - 265年}}