「バンド・オブ・ジプシーズ」の版間の差分

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一方、無名時代のジミと契約していたPPXエンタープライゼズが、ジミの契約不履行を主張。ジミの元マネージャーの[[チャス・チャンドラー]]は、ジミが[[イギリス]]に渡る頃に多くのレーベルとの契約を買収していたが、PPXとの契約は残っており、それによれば、ジミは1968年まではPPXの専属アーティストということになっていた<ref name=Peter>『全曲解説シリーズ ジミ・ヘンドリックス』(ピーター・ドゲット・著、島田聖子・訳、シンコーミュージック・エンタテイメント、ISBN 4-401-63039-4)p.48-53</ref>。そのため、当時既にPPXを傘下に収めていた[[キャピトル・レコード]]からアルバムを1枚発表する必要が生じ、本作は同社から先行発売された(イギリス盤は従来と同様トラック・レコードから発売)。
 
バンド・オブ・ジプシーズは、[[1969年]]12月にリハーサルを行う。その時の音源の一部は、エクスペリエンス・ヘンドリックス公認のレーベル「ダガー・レコード」から、『The Baggy's Rehearsal Sessions』というタイトルで[[2002年]]にCD化された。そして、[[1969年]][[12月31]]から[[1970年]][[1月1日]]にかけて、ニューヨークの[[フィルモア・イースト]]で連続公演(1日2回、合計4公演)を行う。本作には、[[1月1日]]の演奏の一部が収録された。
 
バンド・オブ・ジプシーズは、全メンバーがアフリカ系アメリカ人ということもあり、[[ファンク]]等のブラック・ミュージック色が強く出ているが、1970年1月28日のライブを最後に解散。ジミは以後、他界する直前まで、本作にも参加した[[ビリー・コックス]]、エクスペリエンス時代の盟友[[ミッチ・ミッチェル]]を従えたトリオで活動。