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'''ライアル・ワトソン'''(Lyall Watson, [[1939年]][[4月12日]] - [[2008年]][[6月25日]])は[[南アフリカ]]生まれの[[イギリス]]の[[植物学者]]・[[動物学者]]・[[生物学者]]・[[人類学者]]・[[生物学者]]・[[動物行動学者]]。[[ニューサイエンス]]([[ニューエイジ]]サイエンス)に類する書籍を多く上梓し、中でも『[[スーパーネイチュア]]』は世界的なベストセラーとなった。ライアル・ワトソンは動植物界、人間界における[[超常現象]]を含む科学の水際をフィールドワークとして「新自然学」の確立を目指し、自然的現象と超自然的現象を生物学的見地から解説しようと試みた。[[百匹目の猿]]という言葉が最初に使用されたのは、ワトソンが1979年に出版した『[[生命潮流]]』であったと言われている。これは科学界において興味と同時に反を呼び、四半世紀以上経った今でも論議の種となっている仮説である。
 
ライアル・ワトソンは[[ヨハネスブルグ]]で生まれ、マルコム・ライアル・ワトソンと名付けられた。幼少時より周囲の自然界に関心を抱き、[[ズールー人]]の老人に教えを受けた。ワトソンは[[ケープタウン]]の高校を1955年に卒業し、翌1956年にウィットウォーターズランド大学に入学、[[植物学]]と[[動物学]]を修めた後、[[レイモンド・ダート]]の下で[[古生物学]]を学ぶべく弟子入りした。この経験がきっかけとなり、[[ドイツ]]や[[オランダ]]で人類学の研究に従事し、後に[[地質学]]、[[化学]]、[[海洋生物学]]、[[環境学]]、[[人類学]]などにおいても学位を取得した。ワトソンは[[ロンドン大学]]で、[[デズモンド・モリス]]に師事し、[[動物行動学]]において博士号を取得している。また、BBC([[英国放送協会]])で自然ドキュメンタリーのライター、プロデューサーとしても働いた。この時期に、名前をライアル・ワトソンに短縮した。上記のほか、[[ヨハネスブルグ動物園]]の園長や、様々な地域への探検隊長、[[国際捕鯨委員会]]の[[セーシェル]]担当コミッショナーなどの職歴がある。1980年代後半には英国のチャンネル4で、[[大相撲]][[ロンドン]]場所のプロデュース・解説を務めた。
 
この時期に、名前をライアル・ワトソンに縮めたと言われている。ワトソンは[[ヨハネスブルグ動物園]]の園長や、様々な地域への探検隊長、[[国際捕鯨委員会]]の[[セーシェル]]担当コミッショナーなどの職歴がある。
 
1980年代後半には英国の[[チャンネル4]]で、[[大相撲]][[ロンドン]]場所のプロデュース・解説を務めた。
 
3回の結婚歴がある。最初の2回の結婚は離婚に終わり、3人目の妻は2003年に逝去した。
ワトソンは3人兄弟の長男で、弟の一人アンドリューは[[オーストラリア]]、[[クイーンズランド州]]在住。ワトソンはこのアンドリューを訪問中、2008年6月25日に逝去した。
 
ライアル・ワトソンは、1960年、デズモンド・モリスに師事している時期に最初の著書『[[悪食のサル]]』を上梓し、その後20冊以上の書籍を執筆している。
 
また、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のドキュメンタリー番組「生命潮流」(1982年)が[[テレビマンユニオン]]制作で、同じく[[テレビ朝日]]の「風の博物誌」(1996年、第38回科学技術映像祭グランプリ)と「スーパーネイチュア」(1999年、テレビ朝日開局45周年記念特別番組)が海外のテレビ局との共同制作で、いずれもワトソン出演で放映された。