「一式四十七粍戦車砲」の版間の差分

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{{和暦|1939}}[[陸軍技術本部]]の部案とて研究を開始した。当時試作中の[[一式機動四十七粍速射砲|試製四十七粍砲]]の砲身を[[九四式七糎戦車砲]]の砲架に装載して試験を行い、その試験成績を基に'''試製四十七粍戦車砲'''を設計、{{和暦|1940}}6月第1回試験、翌7月第2回試験を行い、機能、抗堪性、弾道性を確認した。同年9月には[[試製九八式中戦車|試製中戦車]]の砲塔に本砲を装備、九七式中戦車の車体に搭載して抗堪弾道性試験を実施した。翌{{和暦|1941}}1月には[[陸軍戦車学校]]及び[[陸軍騎兵学校]]に実用試験を委託し、実用に適するとの判定を得、更に小改修を加えて同年4月修正機能試験を実施、「精度機能良好抗力十分にして実用に適するを以て、戦車装備用として整備するを要す」と判定された。この結果に基づき同年9月仮制式を上申、翌{{和暦|1942}}4月1日「'''一式四十七粍戦車砲'''」として制式制定された。<ref>以上、『日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他』347-348頁。</ref>。
 
本砲は[[九七式中戦車]]及び[[一式中戦車]]の主砲として装備された。砲身命数は2,000発であり、弾薬筒は[[一式機動四十七粍速射砲|一式機動四十七粍砲]]と共通である。後座長は280mm~300mmとされた。装甲貫徹力は100m/1,000m:55mm/30~35mm
 
== 派生型 ==