「ダン・ウェルドン」の版間の差分

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=== 事故死とその後 ===
[[10月16日]]の最終戦ラスベガスにスポット参戦したウェルドンは、最後尾から優勝したら500万ドルが贈られる企画に挑戦するため最後尾からスタートする。しかしハイバンクの1.5マイルのなかでこの年最多の34台が時速360kmで密集して走るという異常な状況の中で12周目、[[ワイド・カニンガム]]と[[ジェームス・ヒンチクリフ]]の接触を発端にさらに後続の13台を巻き込む大ラッシュが発生する。この中で[[チャーリー・キンボール]]のマシンに乗り上げて宙を舞ったウェルドンのマシンは、さらにその下に流れてきた[[E.J.ヴィソ]]のマシンに乗り上げ、それに運ばれるようにSAFERウォールの上のキャッチフェンスの支柱にコックピット側から叩きつけられてしまい、搬送先の病院で死亡が確認された<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/111017/spq1110170902006-n1.htm インディで大事故…英国人ドライバー死亡] サンケイスポーツ 2011年10月17日閲覧</ref>。 {{没年齢|1978|6|22|2011|10|16}}。皮肉にも、自らがテストを重ねた新車導入を翌年に控えての、現行シャシー最終レースでの事故であった。また、この日の朝、[[NASCAR]]転向を表明した[[ダニカ・パトリック]]に替わるドライバーとして[[アンドレッティ・オートスポーツ]]と複数年契約を交わしたばかりであった<ref>[http://www.nytimes.com/2011/10/17/sports/autoracing/Dan-Wheldon-Crash-Vegas-IndyCar.html?_r=1 Wheldon, Indy 500 Winner, Dies After Crash]</ref>。インディ史に残る名ドライバーの死にレースはそのまま中止、マシンが残ったドライバー全員による5周の追悼ラップがウェルドンに捧げられた。なお、[[ジェームス・ヒンチクリフ]]の発案により、ウェルドンがテストを重ねた次期シャシーは彼への敬意を示し、その名前を取ることになりDW001<ref>[Dallara to name 2012 IndyCar in honour of Dan Wheldon http://www.autosport.com/news/report.php/id/95505]</ref><ref>[ダラーラ、新インディカーを『DW001』と命名 http://as-web.jp/news/info.php?c_id=5&no=37100]</ref>の仮称を経て、最終的には2012年と合わせて'''DW12'''と正式に命名された<ref>[2012年インディカーは『DW12』という名称に http://as-web.jp/news/info.php?c_id=5&no=37267]</ref>。
 
== もてぎに最も愛された男 ==