「M4中戦車」の版間の差分

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|画像=[[ファイル:Utah Beach 2006-Sherman.jpg|300px]]
|説明=M4A1E8<br>[[フランス]]・[[ノルマンディー]]の“[[ノルマンディー上陸作戦#上陸##ユタ・ビーチ|ユタ・ビーチ]]”戦跡記念公園に展示されている車両<ref>M4A1E8型はノルマンディ上陸作戦には投入されていない</ref>
|車体長=75.4784 [[メートル|m]](砲身含む)(19 ft 2 in)
|車体長=6.19 m
|全幅=2.62 m
|全高=2.67 m
|重量=3230.3 t
|懸架方式=水平VVSS(垂直渦巻きスプリング・ボギー式<br />(HVSS)サスペンション)
|整地時速度=38.6 km/h
|不整地時速度=19.3 km/h
|行動距離=151193 [[キロメートル|km]]
|主砲= 75mm M3 gun、又は 76.2 mm M1(71gun(90発)
|副武装=12.7 mm [[ブローニングM2重機関銃|M2機関銃]]×1(600発)<br />7.62 mm [[ブローニングM1919重機関銃|M1919機関銃]]×2(6,250発)
|装甲=防盾76 mm (2.99 in)<BR>砲塔<br />前面64–76 mm (2.52–2.99 in)、側面50 mm (1.97 in)、後面64 mm <br />車体<br />前面51 mm、側面38–45 mm (1.50–1.77 in)、後面38.1 mm(1.50 in)
|エンジン名=Continental R975 C4<br />[[4ストローク機関|4ストローク]][[星型エンジン|星型]]<br />9気筒[[空冷エンジン|空冷]][[ガソリンエンジン|ガソリン]]
|出力=400 馬力(gross)
|乗員=5 名
|備考=
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== 概要 ==
優れた信頼性と量産性により、第二次世界大戦の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]戦車の代名詞になった戦車。アメリカの高い工業力を基盤にして[[大量生産]]された。M4という形式名で呼ばれているものの、車体・発動機・砲塔・砲・サスペンション・履帯など外見上多くのバリエーションを持つ戦車である。これはアメリカ工業力が高く、構成部品の[[規格化]]により[[大量生産]]が可能で、各生産工場の得意とする生産方式・部品を活かし並行生産させたためであるが構成部品の[[規格化]]により殆どの車体構成部品に互換性を持たせることに成功し、高い信頼性が保持さていことによるこのため敵対する[[ナチス・ドイツ]]の戦車(特に[[V号戦車パンター]]や[[VI号戦車]]などに車輌単体での性能こそ劣っていたが、数で圧倒することができた。
 
[[ヨーロッパ]]での米軍対ナチス・ドイツの戦いに加えて[[太平洋戦争]]では[[日本軍]]の掃討に用いられ、特にを敵とする[[沖縄太平洋]]では凄惨な戦闘を経験しているにも投入された。また[[イギリス]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]をはじめとする[[イギリス連邦]]加盟国の他、[[ソビエト連邦]]に4,000輌以上が、[[自由フランス軍]]や[[ポーランド亡命政府]]軍にも[[レンドリース法|レンドリース]]されている。
 
「M4の75 / 76 mm 砲で十分」とするAGF(Army Ground Forces 陸軍地上軍)の甘い判断で、[[M26パーシング]]の配備が遅らされ、終戦まで連合国軍の[[主力戦車]]として活躍した。
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== 開発と改良 ==
第二次世界大戦勃発時の[[1939年]]、[[アメリカ陸軍]]は戦車の保有数が少なく、唯一の中戦車である[[M2中戦車]]も全くの時代遅れであるなど陸戦力には不安があった。これはアメリカが主戦場であるヨーロッパから[[大西洋]]を隔てていた事もあり当初は中立的な立場([[孤立主義]])を取っていた事にも起因するが、やがてナチス・ドイツにより[[フランス]]はじめ欧州の連合国が次々と陥落し、さらにそれに乗じて[[東南アジア]]に進出した[[日本]]との関係悪化などから、[[1940年]]頃には連合各国への[[レンドリース]]による支援やアメリカ自身の参戦に備えて、[[砲塔|全周旋回砲塔]]に大型砲を搭載した戦車が必要と認識された。しかし当時のアメリカでは大直径の砲塔リングを量産できる体制になかったため、繋ぎとして車体に75 mm 砲を搭載した[[M3中戦車]]が先行生産された。
 
続いてM3のシャーシをベースに75 mm 砲を搭載した大型砲塔を持つ新戦車T6の開発と同時に航空・自動車産業を中心に生産体制の整備が急ピッチで行われた。[[1941年]]10月にM4中戦車として制式採用されたが、鋳造生産能力の不足からT6と同じ[[鋳造]]一体構造の上部車体を持っていたが、鋳造生産能力の不足から、つM4A1と板金溶接車体のM4と鋳造車体のM4A1とが同時に量産される事になり、M4A1はアメリカ参戦直後の[[1942年]]2月から量産が開始され、M4は1942年7月から量産が開始された。さらに各生産拠点に適したエンジン形式や生産方法を採る形で、多くの生産型が生み出される事となった。
 
車体および動力系の構成はM3と同様で、車体後部に配置されたエンジンから[[ドライブシャフト]]を介して最前部の[[変速機]]に動力を伝える[[前輪駆動]]になっている。主に航空機用の[[星型エンジン]]の使用を考慮した設計のために、エンジンデッキとドライブシャフトの位置が高く、結果的に同時代の中戦車としてはかなり嵩高な車体となっている(同じエンジンでも[[M18 (駆逐戦車)|M18ヘルキャット]]ではユニバーサルジョイントを介してシャフトが水平になり、設置場所が下がり車高も低くなっている)。足周りもM3とほぼ同じ形式のVVSS('''VVSS'''(垂直渦巻きスプリング式サスペンション)が採用された。履帯は大きく全金属製の物とゴムブロックを含む物とに大別され、さらに滑り止めパターンの形状の違いなどで多くの種類がある。
 
車体前部左右に正操縦席と副操縦席兼前方機関銃座が設けられている。砲塔内には車長・砲手・装填手の三名が搭乗。砲塔上面ハッチは当初は車長用のみだったがまもなく左側に砲手/装填手用ハッチが追加され、さらに車長用ハッチは防弾窓付きキューポラに発展した。左側面には対[[歩兵]]射撃用の開閉式ガンポートが設けられており、防御力向上のために一時廃止されているが、実際は弾薬搬入や薬莢搬出に便利だったためすぐに復活している。
 
信頼性・生産性など[[工業製品]]としての完成度は高かったM4も、戦場で戦う兵器としてはアメリカ軍自身の戦車戦の経験不足もあって問題点も多く、特に百戦錬磨のドイツ軍相手ではワンサイドゲームで「屠殺」撃破されることも珍しくなかった。M4の能力不足はアメリカ軍上層部も理解している者いたが、AGFがその性能を過信したことと、兵器の数をそろ種類を統一して稼働率を上げなければならないることとした事情がドクトリンによりM4の配備が将兵の生命より優先された。
 
そこで戦場からの要望に伴い順次改良が施されていった(装填手用ハッチ追加、全周ビジョンブロック付き車長用キューポラの導入、弾薬誘爆を防ぐ湿式弾庫の採用、そして[[VI号戦車|ティーガー]]を撃破する為の76 mm 砲と新型[[徹甲弾]]の導入など)が施されていった。特に、生産初期の圧延装甲溶接車体の車体前面は、[[避弾経始]]を考慮して56度の傾斜が付けられ、そこから操縦席・副操縦手席部分が前方に張り出した構造になっていたが、後には生産性の向上と車内容積の増加(特に76 mm 砲塔や湿式弾庫搭載のため)などの目的で、傾斜角47度の一枚板に変更されており、併せてA1の鋳造車体も含めて操縦手用ハッチの大型化が行われた。これらは一般的に「前期型車体」「後期型車体」と呼ばれている。ただしこれらの改良も各生産拠点による差異や現地改修などにより千差万別であり、車体分類なども後世の研究による物であるため定まっていない。
 
== 武装 ==
[[ファイル:M4 burning leipzig crop.jpg|thumb|left|1945年4月18日、ドイツの[[ライプツィヒ]]市街戦で被弾炎上するM4(75)。主砲防盾は初期の幅の狭い型のまま、車体側面弾薬庫の補助装甲と、砲塔のスタビライザー搭載で肉薄になった部分の補助装甲が確認できる。]]
量産型のシャーマンの多くは、武装として主砲1門と、1挺の12.7 mm 機銃(砲塔上)、2挺の7.62 mm 機銃(主砲同軸/車体前面)を搭載していた。しかし[[イギリス連邦]]軍で使用した車輌では、12.7 mm 機銃を装備していない物が大半である。さらに一方、M4A1とA2の極初期型にはM3中戦車のように車体前方に二丁の7.62 mm 固定機銃が付いていたが、すぐに廃止された。
 
主砲は[[M1897 75mm野砲#アメリカ合衆国|75 mm 戦車砲 M3]](M61弾で初速619m/s)がオリジナルであり次いで高射砲から発展くは[[M1 76mm戦車砲|76 mm 戦車M1A1M1]](口径3インチ=76.2 mm)のカノン砲が標準だがmmM62弾で初速792m/s)を搭載した車両も生産された。火力支援用として105 mm 榴弾砲M4を装備した形式も作られている。なおイギリス軍では、75 mm 砲搭載型を無記号、76.2 mm 砲型をA、105 mm 砲型をB、17ポンド砲型をCと分類し、例えば「シャーマンIC」だと、シャーマンI(M4)ベースのファイアフライ、「シャーマンIIIA」だとM4A2ベースの76.2 mm 砲型ということになる。またイスラエル国防軍では、車体に関係なく搭載火砲の種別のみで「M1」「M3」「M4」と分類していた(これはM50/M51スーパーシャーマンも同様である)。
 
初期の75 mm 戦車砲に比べ、後に採用された76.2 mm 戦車砲は装甲貫徹力に優れていたが、砲弾が長く搭載数が比較的少なくなったこと(71発)、発射時の砲煙が多いこと、榴弾の炸薬量が75 mm 砲より少ないなど欠点も併せ持ていたため、それぞれの砲を搭載した車両が並行生産された。高射砲から発展大型化した76.2 mm は、[[タングステン]]鋼芯入りの高速徹甲弾(HVAP)を用いると、スペック上ドイツの8875 mm 並み塔と共通貫通力を発揮した砲塔リングであるが、第二次大戦中前期型車体で[[M10 (駆逐戦車)|M10駆逐戦車]]などに優先供給され、シャ搭載スペマンにはスが不十分供給されかっめ、前面装甲板の一体化などで車内容積が増えた期改良型車体朝鮮戦争では十分に供給さのみ載せら、[[T-34]]ていた。砲身撃破す含むと全長が7.47mとな威力を見せた<BR>
そしてこの76.2 mm 戦車砲は、[[タングステン]]鋼芯入りの高速徹甲弾(HVAP)M93を用いるとスペック上ドイツの88 mm 砲並みの貫通力(距離914m、30°で135mmを貫通)が得られたが、砲身の寿命が半減するという欠点もあり、また発射時の反動が大きいため砲口に[[マズルブレーキ]]が追加された。この砲弾は第二次大戦中は[[M10 (駆逐戦車)|M10駆逐戦車]]などに優先供給され、シャーマンには十分供給されなかったが、後の朝鮮戦争では十分に供給され[[T-34]]を撃破する威力を見せた。
 
一方この砲弾は発射時の反動が大きく、砲口に[[マズルブレーキ]]が追加されることとなり、また砲身の寿命が半減するという欠点もあった。なお大型化した76.2 mm 砲塔は砲塔リングは75 mm 砲塔と共通だが、前期型車体では搭載スペースが不十分なため、前面装甲板の一体化などで車内容積が増えた後期改良型車体にのみ載せられている。
 
主砲弾薬庫は前期型車体では左右袖部(スポンソン)に設けられていたが、敵弾貫通時に誘爆して炎上大破するケースが多く(実に60~80%)、応急策として車体側面に補助装甲板が溶接されるも、ドイツ軍の火力の前には却って照準ポイントを教える事になり逆効果であった。そのため後期改良型車体では床に移され、さらに弾薬庫全体を[[不凍液]]([[グリセリン]]溶液)で満たして引火を防ぐ湿式弾庫が導入(湿式弾庫搭載型は末尾にWaterの略である「W」が付けられている)され、炎上する率が低下(10~15%)した。