「バレンシア州」の版間の差分

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=== 中世 ===
バレンシアのイスラム支配期は、8世紀から13世紀まで続いた。[[タイファ]]諸国のバランシヤ王国や[[デニア]]王国の領域であった。11世紀まで重要な中核都市のない、人口希薄な土地にすぎなかった。イスラム教徒らが漑システムを拡張し始めてから、大都市として[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]が脚光を浴びるようになった。
 
1232年から1245年にかけ、[[アラゴン王国]]の[[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]]がバランシヤやデニアを征服し、彼はアラゴン王国の構成国として[[バレンシア王国]]を置いた。バレンシア王はアラゴン王が兼ねたが、バレンシアにはアラゴンに属さない独自の自治権(自治法、議会など)が与えられていた。バレンシアは、イスラム支配の名残で、[[ムデハル]]が人口の大多数を占めたままであった。アラゴン王国によって、主として[[カタルーニャ人]]と[[アラゴン人]]がバレンシアに再植民した。
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ローマ時代に最重要の人口中心地となったのは、[[サグント]]か[[デニア]]であった。それ以後、[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]、[[アリカンテ]]、[[ハティバ]]、[[オリウエラ]]、[[エルチェ]]、[[ガンディア]]または[[ビジャレアル]]、さらに近年は[[アルシラ]]と[[カステリョン・デ・ラ・プラナ]]に人口が集中している。
 
人口密度は州中央と南部で高く、北部と内陸は希薄である。これは、バレンシア州の山岳特徴に起源を持つ人々の分布と、漑化して農地を得るという可能性に由来している。(おそらく前述の人口分布に対する例外として)人口統計は、20世紀の間に海に面していない都市([[アルコイ]]、[[エルダ]]、[[オンティニェント]]、[[ペトレル]]、[[ビリェーナ]]、[[バル・デ・ウイホ]]など)の大きな工業活動と農業派生製品商業とに影響を受けた。
 
近年、大都市とその大都市圏、特に全ての沿岸自治体において人口集中がかなり増大した([[トレント (スペイン)|トレント]]、[[ミスラタ]]、[[パテルナ]]、[[ブルハソト]]、[[サン・ビセンテ・デル・ラスペイグ]]など)。[[ベニドルム]]や[[トーレビエハ]]のような伝統的に人口の少ない都市は、観光客の季節移動(夏期は顕著である)のためにかなりの人口増加を経てきた。