「縫殿寮」の版間の差分
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== 沿革・職掌 ==
縫殿寮は宮中用衣服製造の監督と[[後宮]]女官の人事を主な職掌としていた。前身は[[内蔵衣縫造]](きぬぬいのみやつこ)とされる。「[[内蔵]]」は令制以前の[[皇室]]の倉庫であり、また[[後宮]]関係事務も[[皇室]]と関わりが深い。よってこの機関は国家の統治機関としての役割よりも
令制初期の[[奈良時代]]には衣服製造は[[後宮]]の[[縫司]]に行わせていたが、[[平安時代]]になり[[大同 (日本)|大同]]3年([[808年]])に[[大蔵省#律令制における大蔵省|大蔵省]][[縫部司]]を併合すると衣服生産も縫殿寮自ら行うようになった。縫部司の前身は[[大蔵衣縫造]](おおくらのきぬぬいのみやつこ)で官人の衣服製造が主な職掌であったため併せて生産するようになり家政機関的性格が薄れた。さらに[[11世紀]]後半になると[[天皇]]の衣服を生産する[[御服所]]が[[内蔵寮]]頭邸に創設され次いで[[貴族]]や[[院]]のところにも御服所が設置されるに及び縫殿寮はほぼ有名無実と化した。
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''縫殿寮''
* 頭([[従五位|従五位下]]相当) 一名
* 助([[
* 允([[
** のち大允と少允に分ける
* 大属([[
* 少属([[
* [[官人#雑任|史生]] 新設
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