「ディープ・スロート (映画)」の版間の差分

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内容は、喉の奥に[[クリトリス]]があるという設定の女性が登場するもの。
 
映画はルイス・"ブッチ"・ペライノによって製作された。その資金の殆どは父親[[:w:Anthony Peraino|アンソニー・"ビッグ・トニー"・ペライノ]]と叔父のジョー・"ザ・ホエール"・ペライノに依るもので、彼らは[[コロンボ一家]]のメンバーだった。制作費は22,000ドル、あるいは25,000ドル(約550万円)<ref name="週刊サンケイ">週刊サンケイ、1982年1月21日号p150-154</ref>、その収益はおそらく最も成功したものと評価されるが、正確なデータは不明である。映画の成功が明白になった後、収益に対する3分の1の権利を持っていた監督のダミアノはペライノらによって締め出された。
 
撮影場所は、[[ニュージャージー州|ニュージャージー]]のアパートで三日間で完成した<ref name="週刊サンケイ"/>。
 
リンダ・ラヴレースの自伝では、彼女の出演料1,200ドルを受け取った夫のチャック・トレイナーが出演を強制したことを非難している。
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==豆知識==
*監督は「ジェリー・ジェラルド」(ジェラルド・ダミアノの変名)としてクレジットされた。さらにダミアノはパーティーの場面で短時間現れる。クレジットに彼は「アル・ゴーク」と記述された。
*共演のハリー・リームスは、元々製作スタッフとして200ドルで雇われたが、100ドルの出演料で映画に出演することに合意した<ref>当時のアメリカのポルノ俳優の出演料は、1日150ドル~200ドル(約33,000円~44,000円)、撮影クルーは1日150ドル、助監督は50ドル(約11,000円)。1本の製作費はどこかのアパートを借りて撮影すると約5,000ドル(約110万円)程度であった(週刊サンケイ、1982年1月21日号p150-154)。地方ロケが入ると製作費はこれより高くなる。</ref>
*リンダの夫チャック・トレイナーも映画の製作マネージャーであると見なされた。またある時点では彼は俳優と見なされた。しかしながら彼は勃起を維持することができなかった。1974年にリンダと離婚した後、彼はポルノ・スターの[[マリリン・チェンバース]]と関係を持った。
*日本ではカットの嵐で1本の映画として成り立たず、『[[ミス・ジョーンズの背徳]]』とくっつけて公開された。
 
==脚注==
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==関連項目==