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'''稲村三伯'''('''いなむら さんぱく'''、[[宝暦]]8年([[1758年]]
町医師である松井如水の三男として[[鳥取市]]川端に生まれる。その後[[鳥取藩]]藩医、稲村三杏の養子となり、[[藩校]]の[[尚徳館]]や福岡の[[亀井南冥]]の塾に学び、三杏の死後藩医を継いだ。[[大槻玄沢]]の『[[蘭学階梯]]』に感銘を受け、[[1792年]]([[寛政
実弟である越前屋大吉の不祥事に関し、藩に累加が及ぶのを恐れ[[下総国]]稲毛に隠棲、名も'''海上髄鴎'''(うみがみずいおう)と改めた。
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