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{{基礎情報 武士
'''千葉 自胤'''(ちば よりたね、[[文安]]3年([[1446年]]) - [[明応]]2年([[1493年]]))は、[[室町時代]]中期から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初期の[[武将]]。[[武蔵国|武蔵]][[千葉氏]]第2代当主([[室町幕府]]からは千葉氏当主と認められた)。父は千葉氏嫡流の[[千葉胤賢]]。[[千葉実胤|実胤]]の弟。養子に甥で実胤の子とされる[[千葉守胤]](盛胤)。通称は二郎。
| 氏名 = 千葉自胤
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[室町幕府]]中期、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初期
| 生誕 = [[文安]]3年([[1446年]])
| 死没 = [[明応]]2年([[1493年]])
| 改名 =
| 別名 = 二郎(通称)
| 諡号 =
| 戒名 =
| 墓所 =
| 官位 =
| 幕府 = [[室町幕府]]
| 主君 =
| 氏族 = [[千葉氏]]
| 父母 = 父:[[千葉胤賢]]
| 兄弟 = [[千葉実胤|実胤]]、'''自胤'''
| 妻 =
| 子 = 養子:''[[千葉守胤|守胤]](盛胤)''(兄・実胤の子とされる)
| 特記事項 =
}}
 
'''千葉 自胤'''(ちば よりたね、[[文安]]3年([[1446年]] - [[明応]]2年([[1493年]]))は、[[室町時代]]中期から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初期の[[武将]]。[[武蔵国|武蔵]][[千葉氏]]第2代当主([[室町幕府]]からは千葉氏当主と認められた)。父は千葉氏嫡流の[[千葉胤賢]]。[[千葉実胤|実胤]]の弟。養子に甥で実胤の子とされる[[千葉守胤]](盛胤)。通称は二郎
==生涯==
 
== 生涯 ==
[[享徳の乱]]で[[古河公方]][[足利成氏]]に与した重臣[[原胤房]]と同族の[[馬加康胤]]に伯父の[[千葉胤直]]、従兄の[[千葉胤宣|胤宣]]、父の胤賢ら一族を殺され、兄の実胤と共に[[下総国|下総]][[八幡荘]]市河城へと逃れた。室町幕府8代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義政]]が派遣した同族の[[奉公衆]][[東常縁]]の支援を得たが、成氏が派遣した[[簗田持助 (室町時代)|簗田持助]]に敗れ、[[康正]]2年([[1456年]])[[1月19日 (旧暦)|1月19日]]に市河城も陥落、武蔵へと逃れた。同年、常縁が馬加康胤・[[馬加胤持|胤持]]父子を討ち取り、原胤房も逃亡した。
 
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[[Category:1446年生]]
[[Category:1493年没]]
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{{Japanese-history-stub}}