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# [[本間泰秀]](四郎左エ門)明暦元年(1655年)没(中興本間家菩提寺:興源院)
# [[本間大吉]](四郎左エ門)寛文7年(1667年)没(中興本間家菩提寺:興源院)
 
 
佐渡中興(なかおき)の本間四郎左エ門泰秀が雑太の本間信濃守憲泰の娘婿となり、雑太(さわだ)本間家の家督を継承した。泰秀の嗣子四郎左エ門大吉は佐渡奉行所地役人に召出され、佐渡相川に移住した。大吉には宣儀、平秀、蕃儀の三子があり、平秀が佐渡奉行所地役人を継承し、六代後の今井彦一まで継続して佐渡奉行所地役人を務めている。宣儀(権左エ門)は中興本間家を継ぎ、2012年現在、宣儀から数えて十二代目となる子孫が佐渡市中興(旧金井町中興)に在住している。宣儀と平秀の子孫の墓は、いずれも中興本間家の菩提寺である興源院(佐渡市中興)にある。佐渡本間氏の嫡流である雑太家の流れを汲む中興本間家が350年以上の時を経て現在に続いているのは注目に値する。
 
 
以下は本間家過去帳、興源院の墓標および位牌から辿った本間四郎左エ門大吉の子孫の系譜である(故関川嘉蔵氏の調査による)。
 
・本間宣儀(権左エ門)(宝永元年(1704年)没→本間権左エ門(二代:享保20年(1735年)没)→本間権左エ門(三代:宝暦7年(1757年)没)→本間権左エ門(四代:安永6年(1777年)没)→本間権左エ門(五代:寛政5年(1793年)没)→本間権左エ門(六代:文政7年(1824年)没)→本間権左エ門(七代:元治元年(1864年)没)→本間権左エ門(八代:明治4年(1871年)没)→本間権内(明治39年(1906年)没)→本間斌(昭和31年(1956年)没)→本間靖(平成13年(2001年)没)→十二代目(現当主)
 
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