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エディルネにはローマ帝国時代の遺跡はほとんど残っていない。わずかに市街に埋もれて東ローマ時代の城壁のごく一部と、「マケドニア人の塔」と呼ばれる物見塔が残っているだけである。
 
オスマン帝国時代の建造物の中でもっとも有名なものは、町の中央部の丘の頂上にある[[セリミエ・モスク]]である。[[ミマール・スィナン]]によって[[1569年]]から[[1575年]]まで足かけ7年をかけて建設されたこのモスクは、イスタンブルの[[アヤソフィア]]を越える直径31.5mの大ドームを持ち、大建築家[[ミマール・スィナン]]の最高傑作として名高い。そのほか、市街中央部の大建造物には、高さ68mの[[ミナレット]]をもつ[[ユチュ・シェレフェリ・モスク]]や、[[1414年]]建造のエディルネ現存最古の[[エスキ・モスク]]、メフメト2世の父[[ムラト2世]]の建設した[[ムラディエ・モスク]]など、この町がオスマン帝国の首都であった時代に築かれたさまざまなモスクがある。
 
オスマン帝国の人々は狭苦しい市街に留まらず郊外地区に宮殿や別荘を盛んに造営した。[[エディルネ宮殿]]は市街の西を流れるトゥンジャ川の西岸に造営され、イスタンブルの[[トプカプ宮殿]]に次ぐ壮麗な規模を誇ったが、度重なる戦乱で破壊され現在では一本の塔と若干の廃墟が残るのみの、牧草地となっている。エディルネ宮殿跡の東を流れるトゥンジャ川の中洲はクルクプナルの野と呼ばれ、オスマン帝国時代以来、トルコの伝統[[格闘技]]である[[ヤールギュレシ]](オイルレスリング)の会場となっている。
 
同じくトゥンジャ川の西岸には、メフメト2世の子[[バヤズィト2世]]が作ったモスク複合施設がある。オスマン帝国はこれら川向こうの施設と市街地をつなぐために多くの現存する石造りの橋がつくったが、なかでも町の南、メリチ川にかかるメリチ橋はミマール・スィナンの作品として有名である。