「愛新覚羅慧生」の版間の差分

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昭和13年([[1938年]])、溥傑と[[嵯峨浩]](日本の[[侯爵]]家出身)夫婦の第一子として、満州国の首都[[新京]]で生まれる。翌年、父が満州国駐日大使館に勤務となり、[[東京]]に行く。その次の年の昭和15年([[1940年]])に妹の[[福永嫮生|嫮生]](こせい)が生まれた後、新京に戻る。新京にいる間は皇帝である伯父の溥儀に大変可愛がられた。
 
昭和18年([[1943年]])春、[[学習院幼稚園]]に通うために再び日本に行き、[[日吉 (横浜市)|日吉]]([[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]])にある母の実家の[[嵯峨家]]に預けられる。これ以後19歳で死ぬまで、日本で過ごすことになる。同年秋、父が[[陸軍大学校]]に入学する関係で父母や妹が東京に来たため、一家で[[麻布]][[狸穴]]で生活する。翌年12月、父は陸軍大学校を卒業し、父母や妹は新京に帰ったが、慧生は学校のことがあるため日本に残り、日吉の嵯峨家に再び預けられる。新京に帰る父らを[[東京国際空港|羽田空港]]で見送ったが、これが父との永遠の別れとなる。
 
昭和20年([[1945年]])に日本の降伏により、満州国は解体する。父は[[赤軍]]に捕らえられ、以後昭和35年([[1960年]])(慧生の死後)に釈放されるまでソ連と[[中国]]で獄中生活を送ることになる。一方、母と妹は[[中国大陸]]を流転した末に昭和22年([[1947年]])日本に帰ってくる。日本に帰ってきた母と妹は慧生のいる日吉の嵯峨家で一緒に生活することになる。