「今村友紀」の版間の差分

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== 評価 ==
[[高橋源一郎]] は文藝賞の選評において、「この小説は、「(註:[[東日本大震災|3・11]])以後」を描いている。[[主人公]]の「私」は、突然、ある大きな事件(「[[戦争]]」?)に巻き込まれる。(・・・)そこでは、既成のどんな[[論理]]や[[倫理]]も役に立たない。だから、「私」は全く新しい論理や倫理を作り出さねばならない。「以後」の小説の課題は、そこにしかないのである」と論じ<ref>「[[文藝]]」2011年冬季号、160頁。</ref>、[[朝日新聞]]の[[文芸時評]]では同じく選考委員の[[斎藤美奈子]]が、「道具立てこそ[[サイエンス・フィクション|SF]]的で[[ライトノベル]]風だが、この小説の今日性は事態の[[物語]]化を拒み、状況だけを描こうとする点にある。(・・・)[[情報]]が遮断された「[[一人称]]の[[世界]]」のリアルとはこういうことかもと思わせられる。秀作である」と評すなど<ref>「朝日新聞」2011年10月27日[http://digital.asahi.com/articles/TKY201110260288.html]。</ref>、先行世代の一部から極めて高い評価を得ている。
 
また今村自身も受賞の言葉で、「[[文学]]の[[歴史]]は、[[人類]]の歴史に等しい。[[人間]]が生まれ、育ち、老いて、死ぬ、その営みを、我々自身につなぎとめておくために、我々は文学を必要とする。文学は、ただ、我々と共にここにある。/だから私は[[言葉]]を紡ぐ。他にどんな理由が必要だろう?」と語っており<ref>「文藝」2011年冬季号、5頁。</ref>、贈呈式では「選ばれた[[責任]]」を果たすべく「[[ポストモダン]]の「先」」を描くことを表明するなど<ref>「[[秋田魁新報]]」2011年10月25日および「MSN[[産経]][[ニュース]]」2011年11月7日[http://sankei.jp.msn.com/life/news/111107/art11110708250002-n1.htm]。</ref>、ポスト3・11文学の旗手として将来を嘱望されている。