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==朝鮮の奴婢制度==
朝鮮の奴婢制度は、三千年前、[[箕子朝鮮]]の刑法「[[八条禁法]]」に始まったと言われる。窃盗犯は被害者の奴婢となること、姦通罪を犯したものは国の奴婢とされた。奴婢制度は、箕子朝鮮から[[馬韓]]に受け継がれたのち、その後数百年間は存続と廃止を繰り返すが、西暦918年[[高麗王朝]]により朝鮮半島が統一されると再び一般化した。<ref>アーソン・グレブスト著『悲劇の朝鮮』</ref>1894年の甲午改革に至ってやっと奴婢制度が法的に廃止されたが、一部では実質的には1920年代まで残っていたという。<ref>林鐘国著『ソウル城下に漢江は流れる』</ref>
[[朝鮮半島]]においても奴婢制度は存在し、[[李氏朝鮮]]では賤民は大きく奴婢(ノビ)と[[白丁]](ペ<small>ク</small>チョン)に分けることができた。中でも白丁は一番下の存在と位置づけられていた。
 
奴婢は主人の所有物であり、売買・略奪・相続・譲与・担保の対象となった。「奴」は男の奴隷、「婢」は女の奴隷である。婢女が生んだ子供は主人の奴婢とされ(随母法)、また奴僕の子も奴婢となった。
 
奴婢となったいきさつは、奴婢の子、捕虜、犯罪人、逆賊の妻子で賤民に落とされた者、借金の抵当などである。
 
奴婢は主人の所有物であったが、もうひとつの賤民「[[白丁]]」は職業を限定されたが誰かの所有物ではなかった。
 
奴婢には、官奴婢と私奴婢が存在し、住まい及び[[結婚]]、[[職業]]の選択の自由に制限を受けており、法的に[[市場]]での売買が可能であった。ただし、奴婢の身分から解放される場合もあった。官奴婢の一部は徴税を代行していたために、地方の農民より裕福な者も存在していた。さらに[[文禄の役]]の際に奴婢が反乱を起こし、役所に火を放ち[[戸籍]]を燃やしてしまい、また、戦費を獲得するために一定の額を支払った奴婢は良民になれるようにした。そのため身分制度は混乱し、ある地方では37%居た奴婢が2%まで減少し、代わりに人口の9%に過ぎなかった[[両班]]が70%を占めるという状況も起きた。
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