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[[en:Democratic Party of Turkmenistan]]
'''トルクメニスタン民主党'''は[[トルクメニスタン]]の[[政党]]。[[トルクメン共産党]]の後継政党で、事実上の独裁[[与党]]。党首に相当する議長は、[[大統領]]の[[サパルムラト・ニヤゾフ]]が務める。
 
==党名==
'''トルクメニスタン民主党''' (Democratic Party of Turkmenistan, DPT) は[[トルクメニスタン]]の[[政党]]。事実上の独裁[[与党]]。'''トルクメン共産党'''の後身。
* [[英語]]名は'''Democratic Party of Turkmenistan'''で、略称'''DPT'''.
 
==現況==
議長は[[サパルムラト・ニヤゾフ]]。
[[1991年]][[12月]]の'''トルクメン共産党第25回党大会'''により、トルクメン共産党から'''トルクメニスタン民主党'''に改称。サパルムラト・ニヤゾフを党の議長に選出した。以来、特定の政治思想を持つ集団としての政党というより、ニヤゾフによるカリスマ支配の支持者団体という意味合いが強い政党となっている。
 
[[トルクメン・ソビエト社会主義共和国]]がトルクメニスタンとして[[ソビエト連邦|旧ソ連]]から独立し、[[憲法]]で[[複数政党制]]が認められて以降も、同国では事実上トルクメニスタン民主党による[[一党独裁制]]が敷かれている。トルクメニスタンには合法政党が2つしかなく、トルクメニスタン民主党以外には[[1992年]]に設立された'''農民正義党'''が存在する。だが農民正義党はトルクメニスタン民主党の地方幹部により構成された政党であり、名実共に[[衛星政党]]に過ぎない。
 
ソ連時代から野党活動が皆無と言ってよい状況が続くなか、ニヤゾフ大統領の個人政党として全国的にネットワークを張り巡らせたトルクメニスタン民主党は、[[権威主義]]体制と豊富な天然資源により政権を確固たるものとしている。国外には反ニヤゾフ運動も存在するが、[[2004年]][[12月19日]]の議会選で全50議席をトルクメニスタン民主党が独占するなど、権力を欲しいままにしているのが実情である。
 
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