「三藩の乱」の版間の差分

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朝廷では藩の廃止を強行すれば呉三桂たちは反乱を起こすだろうとの反対意見が強かったが、康熙帝は朝廷内の少数意見を採用して廃止を強行する事に決めた。予想通り呉三桂は自ら天下都招討兵馬大元帥と称して清に対する反乱を起こした。
 
==三藩のの勃発と経過==
[[1674年]](康熙十三年)、呉三桂は[[湖南省|湖南]]を占領し、ここから軍を東西に分けて西は[[四川省]]・[[陝西省]]へ、東は[[広西省|広西]]・福建へ進軍させ、同時に尚可喜・耿精忠に対して呼応の誘いをかけた。耿精忠は誘いに乗って反乱を起こすが、尚可喜は抵抗したために尚之信に殺されて尚之信は反乱を起こした。これに加えて[[台湾]]から[[鄭経]]([[鄭成功]]の息子)も呼応し、一時は[[長江]]以南は全て呉三桂たちの手に落ちた。
 
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