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'''相合 元綱'''(あいおう もとつな)は、安芸[[戦時代 (日本)|戦人領主時代]]の[[武将]]。[[毛利氏]]一門の家臣。[[毛利弘元]]の三男で、[[毛利興元]]・[[毛利元就]]の異母弟。本来の名字は毛利であるが、所領の名を取って「相合」とした。
 
== 生涯 ==
弘元の妾腹の子として生まれる。武勇に秀でた武将で「今義経」の異名を取ったと伝わる。[[永正]]14年([[1517年]])の[[有田中井手合戦]]で、次兄の元就と共に[[武田元繁]]を討つなどの活躍を見せた。また、元就とも仲が良かったといわれる。