「松平信興」の版間の差分

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== 生涯 ==
寛永18年8月に[[徳川家綱]]の側近として中奥[[小姓]]、[[小姓組番頭]]、寛文7年正月には御側などを務めたほか、延宝7年に若年寄、天和2年い[[奏者番]]、貞享4年に大坂城代、元禄3年に京都所司代などの要職も歴任した。長らく『[[雑兵物語]]』の作者に擬せられてきたが、実際の作者は不詳である。元禄4年(1691年)死去、後を養子の輝貞が継いだ
 
信興には実子がなく家督は養子(実の[[松平輝綱]]六男[[松平輝貞|貞]]が継ぎ、最終的には[[上野国]][[高崎藩]]主として幕末を迎える。
 
== 経歴 ==