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=== 明治以降の贈位 ===
[[明治|明治時代]]以降も引き続き死者の功績を称える目的で贈位が行われた。特に[[幕末]]の[[尊皇攘夷]]や[[明治維新]]で功績を挙げながら亡くなった者、または[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[南朝 (日本)|南朝]]方の[[公卿]]や[[武将]]・勤皇家と見なされた[[戦国武将]]等への贈位も盛んに行われた。贈位が行われた[[明治]][[大正]]にかけては長州閥の政治権力が強大であった為、一部で不公平も見られる。例えば[[長州藩]]の祖である[[毛利元就]]に[[正一位]]、三兄弟に[[正三位]]が授与された。これは[[正親町天皇]][[即位の礼|即位式]]の功が理由とされる。一方でその元主君[[大内義隆]]は[[後奈良天皇]]の即位式だけでなく日常的に[[朝廷]]や[[公卿]]への貢献が抜きん出ていたが明治政府からの贈位を見送られた。この差は「毛利元就の献金は勤王だが、大内義隆の献金は猟官運動目的であり勤王によるものではない」という見方による。長州閥が毛利元就の[[下剋上]]を正当化する為には大内義隆の評判が悪いほうが都合が良い事情もある。
贈位は原則として[[従五位]]以上とされたが、[[明治]]2年([[1869年]])の官位制度改革以後は[[従四位]]以上の適用となった。{{jdate|[[1895}}年]]([[明治]]28年)、「戦死者贈位並叙位ノ件」が制定されたのに伴い、功績抜群なる軍人が戦死した場合は生前の[[位階]]に関わらず従五位以上を贈るものとし、準ずるものは生前の位階を一級ないし二級特進させることとした。{{jdate|[[1897}}年]]([[明治]]30年)戦死者贈位並叙位進階内則」では、将官は[[正四位]]以上、佐官は従五位から正四位の間、尉官は[[従五位]]から[[正五位]]の間、准士官、下士官、兵卒は従五位を贈るとされた。明治時代は栄典大権は[[天皇]]に属するものであり、贈位は内閣賞勲局が担当したが、[[大東亜戦争]]後、生存者に対する叙位が停止したのに伴い、贈位も一時停止状態となった(ただし、{{jdate|[[1960|年]]([[昭和]]35年)[[8|15}}日]]に終戦時の[[内閣総理大臣|首相]]で10年以上前に死去していた[[鈴木貫太郎]]に[[従一位]]が贈られている)。
 
=== 今日までの変遷 ===
{{jdate|[[1963}}年]]([[昭和]]38年)、[[池田勇人]][[内閣]]において「戦没者に対する叙位叙勲について」が閣議決定され、[[第二次世界大戦]]の戦死者に対する叙位叙勲が復活する。以後、位階は死没者にのみ贈られるものとなり、生存者に対し叙位が適用されなくなったため、通常の叙位が明治以前の贈位の機能を果たしている(但し、贈位とは異なり、[[叙位]]では「贈」の字は用いられない)。
 
== 将棋における贈位 ==