「チャタレー事件」の版間の差分

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* 出版された本のタイトルは『[[チャタレイ夫人の恋人]]』だが、判決文では「チャタレー夫人の恋人」となっている。憲法学界における表記も「チャタレー事件」「チャタレイ事件」の2通りがある。
* この裁判の結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に[[伏字]]を用いて[[1964年]]に出版された。具体的には該当部分を削除し、そこに[[アスタリスク]]マークを用いて削除の意を表した。
* [[伊藤整]]は、当事者として体験ノンフィクション『裁判』を書いた(初版[[筑摩書房]]、現在。『チャタレイ夫人の恋人』[[晶文社]]で上下巻解説伊藤礼)。1973年に[[伊藤礼羽矢謙一]]は整の次男で、[[新潮が講談社文庫]](ISBN 4-10-207012-5)、[[1996年]]に削除された部分を補った完訳出版刊行、現在は訳文そのままに読む事が可能になった。
* [[1960年]]にはイギリスでも同旨の訴訟が起こっている。結果は[[陪審員]]の満場一致で無罪。[[2006年]]には訴訟の様子が[[ノンフィクション]]としてドラマ化された。
* [[2007年]]に「日本D・H・ロレンス協会」の会長を務めた倉持三郎が、[[彩流社]]で『「チャタレー夫人の恋人」裁判 日米英の比較』を刊行した。なお著者は集大成の形で、[[2005年]]に同社より『[[D・H・ローレンス]]の作品と時代背景』を刊行している。