「カーティス・ウィルバー (政治家)」の版間の差分

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== 生涯 ==
=== 青年期 ===
[[File:Bundesarchiv Bild 102-00326, Curtis Dwight Wilbur.jpg|thumb|120px|海軍長官時代のウィルバー]]
[[1867年]]、ウィルバーは[[アイオワ州]][[ブーンズボロ]]で生まれた。[[1884年]]、ウィルバーは[[メリーランド州]][[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス]]の[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]に任官され、スポーツや研究活動において優れたリーダーシップを発揮した。ウィルバーは海軍兵学校を次々席の成績で卒業したが、卒業後に割り当てられる任務を自ら退き、[[カリフォルニア州]][[リバーサイド (カリフォルニア州)|リバーサイド]]に移り住んだ。そしてウィルバーはその後2年間、教員として働く傍ら、夜間に法律の勉強をした。
 
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=== 海軍長官時代 ===
[[1924年]][[3月19日]]、ウィルバーは[[カルビン・クーリッジ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]から[[アメリカ合衆国海軍長官|海軍長官]]として指名を受け、就任した。ウィルバーはクーリッジ大統領の最初の被任命者であり、高い知性を備えた「清潔で清廉な」人物としてクーリッジ政権入りした。
[[File:Yamamoto-Wilbur.jpg|thumb|200px|left|[[山本五十六]]とウィルバー]]
 
ウィルバーは海軍長官に就任した直後から、艦船の維持管理のための資金について[[アメリカ合衆国議会|合衆国議会]]との交渉を推し進めた。ウィルバーは世界的な軍事脅威を強調し、軍拡の必要性を説いた。また海軍の教育の重要性を主張し、[[空冷エンジン]]の開発なども支援した。ウィルバーはクーリッジ政権の任期満了まで海軍長官を務め、[[アメリカ海軍]]の艦船の拡大および近代化と、[[海軍航空隊]]の創設を実現した。近代化された艦船と海軍航空隊は、後の[[第二次世界大戦]]で強力な戦力となり、特に太平洋地域における[[日本]]との戦闘で大きな成果を挙げた。