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[[画像ファイル:AV Antgoninianus Valerianus.JPG|thumb|right|ウァレリアヌスが描かれた硬貨]]
'''プブリウス・リキニウス・ウァレリアヌス'''({{lang-la|'''Publius Licinius Valerianus'''}},[[200年]]頃 - [[260年]]以降)とは、[[軍人皇帝時代]]時代の[[ローマ帝国]][[皇帝]]である。
 
==略歴 生涯 ==
ウァレリアヌスは軍人皇帝時代に即位した他の皇帝とは違い、由緒ある[[元老院 (ローマ)|元老院]]議員の一族の出自である。ウァレリアヌスの前半生ははっきりとしないが、エグナティア・マリニアナ([[:en:Mariniana|en]])と結婚して、2人の息子を儲けた。すなわち、後のローマ皇帝[[ガッリエヌス|プブリウス・リキニウス・エグナティウス・ガッリエヌス]]とウァレリアヌス・ミノルである。
 
皇帝となったウァレリアヌスは息子ガッリエヌスを共同皇帝としてローマ帝国の西半分を任せ、自らはペルシア([[サーサーン朝]])とのリメスに面した帝国の東半分を受け持った。
 
[[ファイル:Shapur I Valerian Bas Relief.jpg|thumb|捕虜となってシャープール1世に跪くウァレリアヌス([[ナグシェ・ロスタム|ナクシュ・イ・ルスタム]]の磨崖像)]]
[[259年]]、ウァレリアヌスは軍勢を率いてペルシアへと侵攻したが、エデッサ(現在の[[シャンルウルファ]])で[[シャープール1世]]率いるペルシア軍との戦いに敗れて、捕虜となった([[エデッサの戦い]])。その後、ウァレリアヌスは[[ビシャプール]]([[:en:Bishapur|en]])へ送られ、ペルシア国内で[[皮剥ぎの刑]]に処されたと伝えられる([[260年]]ともそれ以降とも)。
 
ローマ皇帝が敵国に捕らえられたのはローマ史上初めて(この後にも11世紀の東ローマ皇帝[[ロマノス4世ディオゲネス]]しかいない)であった。先の[[アブリットゥスの戦い]]と共にローマの国力低下を物語る出来事となった。
{{Commons|Publius Licinius Valerianus}}
*[[3世紀の危機]]
*[[軍人皇帝時代]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.roman-emperors.org/gallval.htm "Valerian and Gallienus"], at ''De Imperatoribus Romanis''.
 
{{ローマ皇帝}}
 
{{先代次代|[[ローマ皇帝一覧|ローマ皇帝]]|33代<br>[[253年]] - [[260年]]|[[マルクス・アエミリウス・アエミリアヌス|アエミリアヌス]]|[[ガッリエヌス]]}}
 
{{DEFAULTSORT:うあれりあぬす}}