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[[Image:Damien-Hirst-1.jpg|thumb|ダミアン・ハースト]]
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'''ダミアン・ハースト'''(''Damien Hirst''、[[1965年]][[7月7日]] - )は、[[イギリス]]の現代美術家である。[[ヤング・ブリティッシュ・アーティスト]](YBAs)と呼ばれる、[[1990年代]]に頭角を現してきたコンテンポラリー・アーティストの中でも代表的な存在である。特に"Natural History"という、死んだ動物(鮫、牛、羊)を[[ホルムアルデヒド]]によって保存したシリーズが有名。
 
== プロフィール ==
ハーストはイングランド西部の[[ブリストル]]で生まれ、北部の都市[[リーズ]]で育った。ハーストが12歳の時に父親が家を出てしまい、そアート・カレッジ後万引き逮捕されるなど荒れた生活を送る。<ref name=shockaholic/>しかしリーズの[[:w:Leeds College of Art|Leeds College of Art]]に入んだして学ぶ機会を得る<ref name=shockaholic>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_depth/uk/2000/newsmakers/2268841.stm "Shockaholic" on BBC site]. Retrieved 19 March 2006.</ref>その後ロンドンの建築現場で2年間働いた後、更に1986年から1989年まで[[ロンドン大学]]の[[ゴールドスミス・カレッジ]]でも学んでいる。<ref name=shockaholic/>在学中の[[1988年]]、荒廃したビルを会場に、学生たちによる自主企画展覧会"'''Freeze'''"を主催し、その際にイギリスの大手広告代理店[[サーチ・アンド・サーチ]]の社長[[チャールズ・サーチ]](美術[[収集家|コレクター]]として有名で、後の[[サーチ・ギャラリー]]のオーナー)に、共同出品していた学生たちと共に見出された。
 
[[1991年]]に初の個展を開く。そのときまでには、巨大なガラスケースや死んだ動物、薬品瓶などを作品に使用して[[生]]や[[死]]を省察するスタイルは確立されていた。同時に、白いキャンバスにカラフルな色の斑点を規則的に配する"スポット・ペインティング"も描いている。この"スポット"は、覚醒剤の錠剤の暗示であると言われている。
しかしハースト自身が認めているように、1995年以降は深刻な[[薬物中毒]]と[[アルコール依存症]]に冒されており、その時期の作品は初期の繰り返しや自己模倣との議論もある。また、ハーストの多くの作品は彼の助手や技術者の手で主に作られており、彼が作品の作家であるのかどうかも問われている。(もっとも、現代美術において制作の一部を外注することは珍しいことではない。)これが問題になったのは1997年に売りに出た「スピン・ペインティング」(様々な色の絵具を回転するキャンバスに垂らして制作した同心円状のもの)をハーストが「贋作だ」と主張した時で、このとき、ハーストが以前これらの絵画作品を作る際に自分ではほとんど何もしていないと述べていたことが紹介され、「もともとハースト自身に真作があるのか」と反論されるもとになった。
 
彼は[[1997年]]、ロンドンの高級住宅地[[ノッティング・ヒル]]で、薬瓶を並べたインスタレーションで店内を装飾したレストラン「ファーマシー(薬局)」を共同経営し、先端人種のたまり場としたことがある。薬局業界から「本物の薬局とまぎらわしい」と論争も起こしたが2003年に閉店した。ハーストの作品の行方が心配されたが、彼はインスタレーションをレストランに貸していただけだったため、これをサザビーズで売却して1100万ポンドもの大金を手に入れた。また、[[欧州宇宙機関]]に依頼され、[[2003年]]に打ち上げる[[マーズ・エクスプレス]]の火星着陸機「ビーグル2」のためにシンプルな絵画を描き、[[火星]]に到着する人類初の美術品にしようとした。<ref name=Laplaca>{{Cite web|url=http://www.artnet.com/Magazine/news/laplaca/laplaca10-21-04.asp |title=Laplaca on |publisher=Artnet.com |date=18 October 2004 |accessdate=15 August 2010}}</ref>
また、[[欧州宇宙機関]]に依頼され、[[2003年]]に打ち上げる[[マーズ・エクスプレス]]の火星着陸機「ビーグル2」のためにシンプルな絵画を描き、[[火星]]に到着する人類初の美術品にしようとした。
 
ハーストはイギリスでは一般的でなかった「有名人芸術家」のイメージ作りをしており、後に[[トレイシー・エミン]]などがこれに続くようになった。こうした「アーティストの[[セレブリティ|セレブ]]化」は、現代芸術をタブロイドレベルの平凡でつまらない話題にすることに貢献してしまったという議論もある。コレクターであるチャールズ・サーチや、[[画商]]であるジェイ・ジョプリンとの緊密な関係は、自分達を国際的な現代美術シーンの影響源とするための結託であるという見方もある。(ただし、近年サーチとハーストは決別し、ハーストはサーチから自作を買い戻した)ハーストはまた、[[チャールズ・ブレア|ブレア]]政権がイギリスの国家ブランド「[[クール・ブリタニア]]」を立ち上げる際にその立役者となり、[[視覚芸術]]をイギリス社会の重要な側面とするのに貢献した。
 
== 参照 ==
{{Reflist}}
 
{{ターナー賞受賞者}}
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