「ダン池田」の版間の差分

(岡田よしお系によるブロック逃れの差し戻し)
 
== スキャンダルによる引退 ==
[[1985年]][[3月25日]]に月曜日放送の1時間版の「夜のヒットスタジオ」が最終回を迎えのを区切りにバンドマスターを降板。理由は体調面・金銭面等を原因としている。
 
「夜のヒットスタジオ」が放送時間帯を移動して、2時間の拡大版(月曜日22時00分~22時5554分から水曜日21時00分~22時5554分に変更になった)が決まった時点で降板を決意したとダン池田は述べている。
 
「紅白歌合戦」と「夜のヒットスタジオ」以外の仕事は続けていた池田だったが、同年の[[11月]]には、次第にテレビの音楽番組から生演奏がなくなっていく風潮に怒りを込めて、告発本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』(第1弾・第2弾)を[[はまの出版]]から上梓。自分の1年間の日記をまとめた物だが、ヒットスタジオの司会[[井上順]]・[[芳村真理]]を始め、[[田原俊彦]]、[[松田聖子]]など共演タレント達の愚痴や悪口(“[[近藤真彦]]の「[[愚か者]]」がレコ大本賞なんてあり得ない”など)、名は巻末まで伏せられていたが自分が推すあるアイドル歌手の動静を綴った内容が話題になり、70万部の[[ベストセラー]]になった一方で暴露本と騒がれ、半ば追放される形で芸能界を引退した。
匿名利用者