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'''ダン池田'''(だん いけだ、本名・池田 啓助、[[1935年]][[4月11日]]- [[2007年]][[12月25日]])は、[[日本]]の[[バンドマスター]]・[[指揮者]]・[[タレント]]。
 
== 経歴・人物 ==
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== スキャンダルによる引退 ==
[[1985年]][[3月25日]]に月曜日放送の1時間版の「夜のヒットスタジオ」が最終回を迎えのを区切りにバンドマスターを降板。理由は体調面・金銭面等を原因としている。
 
「夜のヒットスタジオ」が放送時間帯を移動して、2時間の拡大版(月曜日22時00分~22時5455分から水曜日21時00分~22時5455分に変更になった)が決まった時点で降板を決意したとダン池田は述べている。
 
「紅白歌合戦」と「夜のヒットスタジオ」以外の仕事は続けていた池田だったが、同年の[[11月]]には、次第にテレビの音楽番組から生演奏がなくなっていく風潮に怒りを込めて、告発本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』(第1弾・第2弾)を[[はまの出版]]から上梓。自分の1年間の日記をまとめた物だが、ヒットスタジオの司会[[井上順]]・[[芳村真理]]を始め、[[田原俊彦]]、[[松田聖子]]など共演タレント達の愚痴や悪口(“[[近藤真彦]]の「[[愚か者]]」がレコ大本賞なんてあり得ない”など)、名は巻末まで伏せられていたが自分が推すあるアイドル歌手の動静を綴った内容が話題になり、70万部の[[ベストセラー]]になった一方で暴露本と騒がれ、半ば追放される形で芸能界を引退した。
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池田降板後、「ニューブリード」のバンドマスターは、元[[ブルーコメッツ]]の[[小田啓義]]・[[三原綱木]]に交代した。「ニューブリード」本体は、「ザ・ニューブリード」に名称を変更し、現在も「[[NHK歌謡コンサート]]」や「NHK紅白歌合戦」、「[[NHKのど自慢]]チャンピオン大会」などで活躍中である。
 
== 晩年引退後 ==
晩年の池田には単発での仕事しかなくなり、芸能事務所を設立してデュオの演歌歌手をデビューさせたが失敗。表舞台に出る機会が減っていった。
 
[[20001990]]以降は懐かしの映像で「夜のヒットスタジオ」の映像が流れたり、単発で「[[あの人は今!?]]」等の番組に出演したりした以外、ダン池田の映像を見る機会がなくなった。
[[1997年]]当時、埼玉県で開業した「ダン池田の店」でマスターをつとめていた。
 
[[1997年]]当時、埼玉県で開業した「ダン池田の店」でマスターをつとめていた。
[[2000年]]以降は懐かしの映像で「夜のヒットスタジオ」の映像が流れたり、単発で「[[あの人は今!?]]」等の番組に出演したりした以外、ダン池田の映像を見る機会がなくなった。
 
[[2007年]][[12月25日]]、急性[[呼吸不全]]のため死去。{{没年齢|1935|4|11|2007|12|25}}。近親者のみで[[密葬]]を済ませ、「故人の遺志で静かに眠らせてあげたかった」との遺族の意向から、訃報は死去から約2カ月後の[[2008年]][[2月21日]]に公表された。