「古公亶父」の版間の差分

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[[詩経]]の大雅の緜編には、姜族の妻と共に岐山の麓へやってきたこと、住むべき洞窟すらない岐山の麓で古公が一から国を建国する様子、その後の繁栄などがうたわれている。
 
その後、[[殷|商]]王室と親交を結び、息子の[[季歴]]に王室から嫁をもらう(列女伝では、摯の任氏の娘で王室の娘ではない)。その嫁と季歴の息子が後の[[文王 (周)|文王]]である。古公には季歴の他に[[太伯]]と[[虞仲]]という長男と次男がいたが、古公が「私の世継ぎで興隆するものがあるとすれば昌(文王の諱)であろうか」と予言したので、弟の季歴に位を継がせるために太伯と虞仲は出奔した。
 
古公亶父の死後、季歴が後を継いだ。
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