「ニューヨーク近代美術館」の版間の差分

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== 創立・収集・展示 ==
近代美術館設立の構想は、L.P.ブリス、C.J.サリヴァン夫人および[[J.D.ロックフェラー2世]]夫人という3人の女性によって発案され、<ref>{{cite web | url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m1026/is_5_166/ai_n9505400 | title=Abby Aldrich Rockefeller: patron of the modern | author=Jeffers, Wendy|publisher=Magazine Antiques | date=2004-10 | accessdate=2008-04-24 |archiveurl = http://web.archive.org/web/20080129013201/http://www.findarticles.com/p/articles/mi_m1026/is_5_166/ai_n9505400 <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate = 2008-01-29}}</ref>開館したのは[[1929年]]である。日本の時代区分でいえば昭和のごく初期に早くも前衛美術専門の美術館の設立が構想されていたことは注目される。
 
開館第1回展は「[[ポール・セザンヌ|セザンヌ]]、[[ポール・ゴーギャン|ゴーギャン]]、[[ジョルジュ・スーラ|スーラ]]、[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]展」であった。このことは、[[印象派]]の次の世代([[ポスト印象派]])にあたる画家の彼らが当時の「前衛」であり、20世紀以後の「現代美術」の最初の画家たちであったことを象徴している。第1回展の展示風景の記録写真を見れば、19世紀式のサロン風の展示ではなく、昨今の美術館にみられるような、ニュートラルな白い壁面(ホワイトキューブ)に絵画が掛けられているが、これも当時としては斬新であった。
以後、建築や前衛美術についての意欲的な企画展を連発しながらいちはやく優品の収蔵を進めていった。とくに企画展に際して発表される諸論文や、個々の作家や作品を美術史の文脈の中に位置づけてゆく構想力は、全世界の同時代美術の見取り図や歴史、筋書きをこの美術館が全部書いているような錯覚すら起こさせる。それゆえ、MoMAが現代美術の価値を決定している現状に対する反発も美術家・美術関係者の間には少なからず存在する。
 
また、[[建築]]、商品[[デザイン]]、[[ポスター]]、[[写真]]、[[映画]]など、美術館の収蔵芸術とはみなされていなかった新しい時代の表現までをも収蔵品に加え、常設・企画展示・上映などを行うことで、世界のグラフィックデザインの研究の中心としての地位をゆるぎないものにした。ここには、日本製の電気製品や家具、映画作品などもデザインの歴史に影響を与えた優れた作品として収蔵されている。[[2007年]][[1月]]には[[Au (携帯電話)|au]]の[[au design project]]で生まれた、日本でのみ利用できる4機種の携帯電話が収蔵品に選定されたことで話題になった。<ref>{{cite web|url=http://www.kddi.com/corporate/news_release/2007/0115c/index.html|date=|2007-01-15|accessdate=2012-01-27|title=「au design project」の4モデルがMoMA (ニューヨーク近代美術館) のコレクションに選定|publisher=KDDI}}</ref>
 
戦後、[[1952年]]にはインターナショナル・プログラムを早くも発足。この機関はMoMAによって構成される「MoMAインターナショナル・カウンシル」が経済支援のネットワークを盤石にし、世界各国の美術館関係者と人的ネットワークを構築し交流するプログラムを定期的に設け、巡回の受け入れ先を確保し、コレクションの貸し出しで報酬を得る。これらは実に優れた交流機関であり、美術館経営に効果的な事業スキームを持つ。このような機関は世界においても例がないという。MoMAの理事会には経済界で強力なリーダーシップを持ったロックフェラー家のような名士が名を多く連ねており、彼らは率先して資金調達を成し遂げる。MoMAファミリーになることは世界の資産家において魅力的なことであり、一流のカルチャーリーダー、一流資産家であることの証しでもある。
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