「渡辺秀央」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
23行目:
[[1993年]]の総選挙では、落選。[[1996年]]の選挙には無所属で出馬するも、再び落選し、自民党を離党し翌[[1997年]][[新進党]]入党した。
 
[[1998年]]、[[第18回参議院議員通常選挙]]に[[自由党_(日本_1998-2003)|自由党]]公認で出馬し、比例名簿4位ながらも当選、参議院議員に鞍替えし[[1999年]][[司法試験]]浪人の[[高山智司]]を[[政策秘書]]採用。自由党では[[小沢一郎]]の側近として選挙対策委員長務め[[民主党_(日本 1998-)|民主党]]との合流問題に取り組む。また、[[民由合併]]のモデルとも言われる[[新潟方式]]にも参画している。
 
新潟県では保守層にも一定の影響力があり、全国的に[[小泉フィーバー]]だったが[[第44回衆議院議員総選挙|第44回総選挙]]においても県内における自民党の躍進を食い止めている(6選挙区中、小選挙区4・比例1)。第16回統一自治体選挙前半戦([[2007年]]4月8日投票)の新潟県議会議員選挙において、息子である渡辺祐介が[[見附市]]から出馬したが、落選した。2010年秋の叙勲において旭日大綬章を受章。