「テクノロジー」の版間の差分

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=== 悲観論 ===
{{see also|ラッダイト運動}}
 
逆にテクノロジーが進歩した社会には本質的に問題があるという悲観的見方をする者として、[[ヘルベルト・マルクーゼ]]や[[ジョン・ザーザン]]がいる。彼らは、そのような社会が技術的であるために、結果的に[[自由]]や[[健康|精神的健全さ]]を犠牲にするだろうと示唆した。
{{see also|ラッダイト運動}}
 
哲学者[[マルティン・ハイデッガー]]も、テクノロジーに対して真剣な懸念を持っていた。ハイデッガーは "The Question Concerning Technology" の中で「したがって、我々が単にテクノロジーを生み出し発展させる限り、テクノロジーの本質との関係を我々が経験することはなく、我慢することも回避することもない。我々はあらゆる場所でテクノロジーに[[拘束|つながれ]]、自由を奪われている。それは、我々がテクノロジーを熱望するか拒否するかとは無関係である」と書いている<ref name="Heidegger 1977">{{cite book | last = Lovitt | first = William | chapter = The Question Concerning Technology | year= 1977 | accessdate=2007-11-21 | title = The Question Concerning Technology and Other Essays | publisher = Harper Torchbooks | pages = 3–35}}</ref>。