「ライン生産方式」の版間の差分

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工場生産に応用したのは[[英国]]で[[マーク・イザムバード・ブルネル]]([[:en:Marc Isambard Brunel]])が英国[[海軍]]用に[[滑車]]装置([[:en:Block and tackle]])を作るために[[アセンブリー・ライン]]([[:en:Assembly line]])を用いたのが最初といわれている。[[1801年]]のことであった。
 
米国では[[アルバート・ポープ]]が[[1890年代]]にアセンブリーラインによる[[流れ作業]]での生産を開始している。ポープは英国で[[自転車]]製造を見学、米国初の自転車製造会社を創業し、かつ、米国自転車産業界を[[特許]]闘争で独占し、米国自転車の[[帝王]]とよばれた人物である。
 
米国での[[自動車]]生産におけるアセンブリーラインによる流れ作業の第一号は[[1901年]]、[[ランサム・E・オールズ]]が[[オールズモビル・カーブドダッシュ]]生産でおこない、特許も取得している。第二号は、[[トマス・B・ジェフリー]]が1902年に[[ランブラーC型]]でおこない、[[フォード・モーター|フォード社]]が[[1903年]]に初期のA型フォードでその後に続く。フォード社の技術者は1906年にコンセプトを形作っており、フォード社は工場全体にわたってこのコンセプトを適用した初の会社だった。さらにフォード社は、[[1914年]]に建造した[[フォード・モデルT]]の新生産工場で[[ベルトコンベア]]を導入し、流れ作業をさらに効率化した。
 
==社会問題==
流れ作業を始めた当初から、単純労働による労働者の労働意欲の低下や離職率の高さはすさまじく、賃上げや作業工程の見直しなどが相次いだ。[[1936年]]には、[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]の[[映画]]、『[[モダン・タイムス]]』で題材に取り上げられている。労働者に対して人間性よりも、ひたすら機械の一部としての忍耐を求めるこのシステムは批判は受けつつも、[[第二次世界大戦]]中の[[武器]]、[[軍需]]物資]]の生産に応用されたり、戦後は工業以外の[[食品]]製造など広範な分野に広まり、世界中で普及した。
 
==関連項目==