「赤松氏満」の版間の差分

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{{基礎情報 武士
| 氏名 = 赤松 氏満
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[室町時代]]後期([[戦国時代 (日本)|戦国時代]])、 - [[江戸時代]]前期
| 生誕 = [[1553年]]([[天文 (日本)|天文]]22年([[1553年]]
| 死没 = [[1606年慶長]]11年([[慶長1606年]]11年
| 改名 = 氏満→宗英(法名)
| 別名 = 小六郎、越後(通称)、和泉守(受領名)、石野氏満、小六郎
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 =
| 霊名 =
| 墓所 =
| 官位 = 和泉守
| 幕府 =
|主君 = [[別所長治]]→[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]→[[前田利家]]→[[前田利長|利長]]
| 主君 =
| 藩 = [[加賀藩]]
| 氏族 = [[赤松氏|石野氏]]
| 父母 = 父:[[赤松石野氏貞]]、母:[[藤田氏]]新右衛門の妹
| 兄弟 = '''氏満'''、[[赤松石野貞重|貞重]]
| 妻 = 正室:[[有馬則頼]]の娘
| 子 = '''[[赤松氏置|氏置]]'''、[[赤松石野氏次|氏次]]、[[赤松石野正直|正直]]
| 特記事項 =
}}
'''赤松 氏満'''(あかまつ うじみつ)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期の[[武将]]。[[赤松氏]]の庶流の一族で、[[赤松則村]]の長男[[赤松範資|範資]]の後裔。父氏貞が石野城に拠ったことから石野氏を名乗った
 
== 生涯 ==
[[赤松氏]]の庶流の一族で、[[赤松則村|赤松円心]]の長男[[赤松範資]]の後裔。石野城に由来し、石野姓を名乗る。父は[[赤松氏貞]]、妻は[[有馬則頼]]の娘。
[[天正]]6年([[1578年]])、[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が[[三木城]]を攻めると、[[別所長治]]の部将として羽柴方の猛将[[古田重則]]を射殺するなど活躍するが三木城は陥落([[三木合戦]])。秀吉、[[前田利家]]に属し、[[小田原の役|小田原攻め]]、八王子攻めに参陣し、3千石余を得た。慶長11年(1606年)、加賀国で死去。享年54
 
== 三木城攻防戦子孫 ==
子の氏置は[[徳川家康]]の[[旗本]]([[御伽衆]])となった。氏満の玄孫で[[遠国奉行]](日光奉行)の[[赤松範恭|範恭]]が[[宝永]]年間に名実共に赤松姓に復し、5千石余の旗本として幕末まで存続した。一説には[[交代寄合]]であったという。
[[天正]]6年([[1578年]])、[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が[[三木城]]を攻めると、[[別所長治]]の部将として猛将[[古田重則]]を射殺するなど活躍するが三木城は陥落([[三木合戦]])。秀吉、[[前田利家]]に属し、[[小田原の役|小田原攻め]]、八王子攻めに参陣し、3千石余を得る。
 
また、同じく氏満の玄孫で分家筋の旗本だった[[有馬則維|則維]]が、血筋が近いこともあり、って兼ねてから縁のあった[[有馬則故]](旗本3千石)の養子になり、その後嗣子がなかった[[久留米藩]]を相続し、この血統が幕末まで存続することになる。300石の旗本の五男から21万石の大名への大出世である。
== 旗本へ ==
子の氏置は[[徳川家康]]の[[旗本]]([[御伽衆]])となり、上総に2千石余を得る。その後3千石余に加増され、[[下湯江陣屋|下湯江]]に[[陣屋]]を築いた。上総の法厳寺(現存)を建立したと伝えられる赤松義利は氏置の別名である。
 
幕末の[[外国奉行]]・[[赤松範忠]]はこの氏満から数えて10代目に当たり、[[書院番頭]]も務めた。また、[[享保]]年間の[[勘定奉行]]・[[石野範種]]は分家筋の旗本である。江戸後期幕末[[外国奉行]]、[[書院番]]頭・[[赤松範忠]]は氏満から数えて10代目に当たり、[[軍艦奉行]]・[[赤松範静]]は範忠の子である。
== 子孫の繁栄 ==
氏満の玄孫で[[遠国奉行]](日光奉行)の[[赤松範恭|範恭]]が[[宝永]]年間に名実共に赤松姓に復し、5千石余の旗本として幕末まで存続。一説には[[交代寄合]]であったという。
 
{{赤松氏歴代当主|||石野氏}}
幕末の[[外国奉行]]・[[赤松範忠]]はこの氏満から数えて10代目に当たり、[[書院番頭]]も務めた。また、[[享保]]年間の[[勘定奉行]]・[[石野範種]]は分家筋の旗本である。江戸後期の[[軍艦奉行]]・[[赤松範静]]は範忠の子である。
 
また、同じく氏満の玄孫で分家筋の旗本だった[[有馬則維|則維]]が、血筋が近いこともあり、兼ねてから縁のあった[[有馬則故]](旗本3千石)の養子になり、その後嗣子がなかった[[久留米藩]]を相続し、この血統が幕末まで存続することになる。300石の旗本の五男から21万石の大名への大出世である。
 
== 関連項目 ==
* [[赤松氏]]
 
{{先代次代|[[赤松氏|旗本赤松氏]]|赤松氏満|―|[[赤松氏置]]}}
 
{{Japanese-history-stub}}
{{DEFAULTSORT:あかまつ うしみつ}}
[[Category:赤松氏|うしみつ]]
[[Category:戦国武将]]
[[Category:赤松氏|うしみつ加賀藩の人物]]
[[Category:江戸幕府旗本]]
[[Category:和泉守]]
[[Category:1553年生]]
[[Category:1606年没]]