「国道66号線 (アメリカ合衆国)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m r2.6.4) (ロボットによる 変更: ru:U.S. Route 66
72行目:
創設された当時は、他の多くの国道と同じように、ほとんどは未舗装の埃道であった。しかし、国道66号線協会の努力により、[[1938年]]に国道66号線は全米の国道で初めてとなる[[舗装]]がなされた。''Bloody 66''(血まみれの66号線)と呼ばれるような危険な場所もあったが、ルートの変更などにより次第に危険なカーブがルート上から取り除かれていった。しかし、[[アリゾナ州]]のブラック・マウンテン山地([[:en:Black Mountains (Arizona)|Black Mountains]])を越える1ヶ所だけは[[1953年]]までヘアピンカーブの連続する曲がりくねった道として残った。それでも国道66号線は人気の高い道路であり続けた。
 
[[第二次世界大戦]]中、[[カリフォルニア州]]で軍需産業が発達し、西への人口の動きはさらに加速した。そうした状況下で、国道66号線は軍用品の運搬路としての役割を果たした。国道66号線の近くにあった[[ミズーリ州]]の[[フォート・レナード・ウッド]]陸軍基地([[:en:Fort Leonard Wood (military base)|Fort Leonard Wood]])は、軍の交通需要に応えるため、迅速に国道の拡幅を行った。
 
[[1950年代]]に入ると、国道66号線の主な通行者は[[ロサンゼルス]]へのバカンス客へと取って代わられた。この国道は[[アリゾナ州]]内においても[[グランドキャニオン国立公園|グランドキャニオン]]の近くを通っていた。同州の[[バリンジャー・クレーター]]も人気の高い観光地であった。こうした観光需要の高まりにより、沿道には[[モーテル]]や各種ショップが建ち並ぶようになった。また、沿道では[[ドライブスルー]]の設置や、[[マクドナルド]]の登場など、[[ファーストフード]]産業も生まれた。このような沿道の変化は、「ルート66」を単なる道路ではなく、アメリカ近代文化の縮図へと変貌させていった。